風俗

出張サービスで出会ったドM天使

「――どこ? どこ!?」 デリヘルは一生懸命に走った。長い耳をピンと立てて、僅かな物音も逃すまいと懸命に。 だが、もぬけの殻となった置屋館のどこを探しても、モルガは見つからない。焦るデリヘルの耳に、波の音が聞こえた。「海……」 置屋館の三階には、海に面したバルコニーがあった。崖の上に浮かぶように備え付けられたバルコニーに、デリヘルは吸い寄せられるように近付き、その大きな窓を押し開けた。 眼下の岩場に、一定の間隔で打ち付けられる大きな波の音。その波の音に、微かに異なる音が混ざって聞こえる。 デリヘルが全身を耳にするかのように集中してその音だけを拾えば、その音は自らの異常を必死に伝えようとする、動物の赤子の鳴き声に似ていた。「……赤、ちゃん?」 こんな夜中に、何故海の方角から赤子の鳴き声がするのだろう。デリヘルはもっと良く確かめようと、バルコニーの手摺から身を乗り出した。 すると、漸く追いついたエロエロ達とソープがデリヘルに声を掛けた。デリヘルと同じように手摺から身を乗り出し、海の方角を見る。「デリヘル! 何かわかったのかい!?」「海の中から、赤ちゃんが泣いてるのが聞こえるの」「赤ん坊……?」「え、何で海から?」「あ! あそこじゃね!?」 ラルムが指差した沖近く、豆粒のように小さく見える船の灯りが揺れている。その遠さを確認すると、サルムの肩が諦めるように力無く下がっていった。「無理だよ。あんなに遠くなっちゃぁ」「――違う。あの船より近い……!」「あ! デリヘル!!」 デリヘルは三階のバルコニーの手摺に足を掛け、勢いよく空中へと飛び込んだ。それからまるで空間に足場がある様に、何度か空を蹴りながらも下へと降りて行く。「すっげ……」「流石獣人」「やるねぇ……。アタシも先行ってるよ!!」「あ! ソープばあさん、これ適当に結び付けて!」 デリヘルに続き飛び降りようと手摺に足を掛けたソープに、トートが鋼蜘蛛の糸巻を投げ付ける。パシリと音を立てて掴んだまま、ソープは落下した。途中、自らの掌から出した植物の蔓で足場を作っては、勢いを殺しているようだった。 トートが糸の端を念入りに手摺へ結ぶと、暫く後に糸はピンと張られた。ソープが下でちゃんと括り付けてくれたようだ。 トートはダガーにぐるぐると革紐を巻き、糸に渡すようにして両手で掴む。ラルムもサルムも同じようにして、トートの後ろに続いた。「んじゃ、降りるぞ~」「おー! めっちゃ楽しい!!」「ひょぇぇぇぇぇぇ!!!」 ラルムの笑い声とサルムの悲鳴を、打ち付ける波の音が掻き消していった。「とーちゃーく!」「おっと、っぶね! 崖ギリギリじゃん!!」「こわっ……こわかった……!!」 鋼蜘蛛の糸は良く滑る。崖際に生えていた太い木の幹に、ぶつかるようにしてエロエロ達が到着した。 トートとラルムがガクガクと膝が震えているサルムを支えながらソープ達を探せば、丁度今しがた海から上がって来たのか、岩場からずぶ濡れのソープがスカートの水分を絞りながら声を掛けた。「ちびども! 嬢ちゃんの薬出しとくれ!! それと乾いた布もだよ!!」「見つかったのか!?」「……ああ。海に捨ててったみたいだね」 モルガは波に飲まれながら、海岸付近まで流れて来ていた。ソープの出した蔓によって引き摺るように救い上げられたモルガの顔は青白く、豊かな胸は呼吸をしていないのか、動いていない。その胸の間には必死に鳴いている獣の赤子が顔を出していた。 その冷たくなったモルガと赤子の体を乾かし温めてやろうと、デリヘルが懸命に舐めて毛繕いをしている。 サルムがデリヘルを抱きしめ、モルガから遠ざけると、ソープが赤子を取り上げ布で包んだ。それからデリヘルにも布をかぶせて、サルムと共に温めるように抱きしめる。 トートが見ると、モルガの身体は岩か漂流物にでも打ち付けたのか、赤く腫れた個所がいくつもあり、背中の袈裟切された大きな傷口からは、未だ血が滲んできている。 トートは先に水を吐かせなくてはと、モルガの顔を横に向け、胸の下から上に押し上げるように、何度も何度も押し続けた。 押上げられた水がゴポリと音を立てて吐き出されると、今度は肺に息を送り込む。それでも息を吹き返さないモルガを、デリヘルは震えながら見守った。 トートは赤い薬を口に含むと、再び躊躇いも無くモルガに口づけた。「大丈夫だよ。マリーちゃんの薬がきっと助けてくれる」 サルムが祈る様に呟いて、デリヘルの頭を撫でてくれた。マルク達よりも少しだけ大きな手に撫でられて、デリヘルは頷きながらドS天使の事を思い浮かべる。 自分より小さいのに、孤児院に差し入れしてくれる近所のおばさんみたいに話すドS天使。ドS天使に貰った薬で治った折れた脚は、治すどころか蹴る力が何倍にもなっていた。不思議な薬術で煎じてくれた薬草茶は凄く不味かったけれど、身体がとても軽くなった。あと何よりご飯が美味しい。 ドS天使の事を考える内に、デリヘルの身体は、いつの間にか震えが止まっていた。 ――きっと、大丈夫。 そう皆が信じた時、モルガの胸がビクンと跳ねた。そうして咽かえり何度か咳をすると、うっすらと開いた瞼の奥に、焦げ茶色の瞳が揺らめく。「う……」「「「やった!!」」」「モルガお姉ちゃん!!」 モルガが視線をさ迷わせると、エロエロ達が互いにハイファイブして喜び合うのが見える。わっと自分に抱き着くデリヘルを抱き返したいが、思うように身体が動かない。それからはっと目を見開くと、自らの胸もとに視線をやった。「あ……赤子は……?」 海に飛び込む時、咄嗟に胸元に入れたあの子が居ない。胸が水面に浮くように力を抜いて波に任せたけれど、激しい波に溺れてしまった。小さいあの子が波に飲まれたら一溜りもないだろう。 自分だけが助かってしまった絶望に、モルガがくしゃりと顔を歪ませた時、ソープが抱いて温めていた赤子の顔をモルガに見せてくれた。「いるよ。安心おし」「あ……ああぁ……」 泣き疲れたのか、安心したのか、ソープの腕の中で獣の赤子は眠っている。モルガもやっと安心出来たのか、再びゆっくりと瞼を閉じた。だがその顔色は、先程と同じ白いままだ。唇も紫のまま血色が戻らない。「――不味い。マリーちゃんの薬で傷は塞がってるけど、血が流れ過ぎたかもしれない」 海の中をあの大きな傷を受けたまま漂ったなら、止血なんて出来なかった筈だ。「早くマリーちゃんに診てもらおう……!」「アタシが背負うよ。デリヘル。赤子を頼めるかい?」「うん……! あ、待って! マリーちゃんに貰ったこれ!!」 デリヘルはポケットの中から、ドS天使の匂い袋を取り出した。デリヘルが魔力切れを起こした時に、魔力切れと貧血が同じというような事を言っていた気がする。そして貧血とは確か、血が足りないという事だと言っていた。「マリーちゃんみたいに薬草茶には出来ないけど、口の中に入れてたら少しは……!」「「「え」」」 デリヘルは匂い袋のリボンを解くと、中に詰められていたものを掴み、モルガの口にぎゅうぎゅうと押し込んだ。突然のデリヘルの行動に、ソープとエロエロ達は止める間もなく唖然と見守るしかない。「え……大丈夫なの、これ?」「息詰まっちゃわね?」「……大丈夫じゃないかい? 気付けの葉を口に入れたりするからねぇ」 息も出来ているようだし、とにかく今は少しでも早く、ドS天使の元へ連れて行くのが先決だ。ソープは高く跳び上がると、エロエロ達が伝い降りてきた細い鋼蜘蛛の糸の上を走りだした。「「うぇぇぇぇぇ!?」」「ばあさん凄過ぎだろ……」「あたしも!」「「「ええええええ!?」」」 デリヘルもソープに続いて行ってしまった。置いて行かれたエロエロ達の背後に、波が飛沫を上げて何度か打ち付けられた。「……俺達どうするよ?」「崖に階段でも作る? 時間かかるけど」「いや、隆起させれば早いんじゃね?」 途方に暮れるラルムとサルムの言葉に、トートが自分の足元をぺしぺしと叩く。ラルムとサルムはその地面を見て、自信無さ気に口を開いた。「まじか……魔力持つかな」「それな」「だから言ったろ~? 魔力に頼って動くなって」「「さーせんっした!!」」「……まあ、俺もぎりぎりだけどなー。三人力合わせればなんとかなるだろ」 エロエロ達が背を合わせ、同時に地面に手を叩きつける。すると足元の地面がゴゴゴと地鳴りをさせて隆起し、その反動で三人は ドン と空へ打ち上げられた。「っでえぇぇぇぇぇ!?」「ちょ、力込め過ぎいぃぃぃ!!」「いや、だって足りないと困るから全力でやるじゃん!?」 サルムは意外と魔力が余っていたらしい。予想していなかった衝撃に、エロエロ達も叫ぶしかない。「……おや、まあ」「すごーい!!」 丁度バルコニーに到着したソープとデリヘルは、悲鳴を上げながら打ち上げ花火よろしく置屋館の屋根より高く打ち上げられるエロエロ達を、感心したように見送った。 海に身を投げたモルガは、咄嗟に小さな揺り篭の中でぐったりとしている赤子を取り出し、豊かな胸の間に挟んだ。それから赤子が少しでも息が出来るようにと、籠と自らの腕で空間を作るように抱え込む。 背から強く海面に打ち付けられ、モルガの身体は海中へと沈んで行く。モルガは痛みに耐えながらも早く海面上へ向かわなくてはと、足を泳がせた。 荒くうねる波と、重く纏わりつくスカートが思うように泳がせてはくれない。波は漸く海面上に顔を出す事が出来たモルガが落ち着く少しの隙も与えず、モルガの華奢な肩を容赦なく岩礁に叩き付けた。「ぐあっ……!」 痛みに思わず叫びもがけば、モルガの身体は再び海の中へと沈んでしまう。波への恐怖心を抑える事が出来なければ、もがく身体は益々波に囚われてしまうだろう。 モルガは波に寝そべるように力を抜き、顎を上げた。すると自然とモルガの身体が海面へと浮上していく。豊かな胸が水面に浮けば、赤子が酸素を求めて咳き込み、鳴き始めた。 ――ああ、鳴いてくれた。どうか、この子だけは 鳴く子供をあやしたい気持ちを抑えて、モルガは自らの身体を浮き袋に、波にたゆたった。 何度も波を被り、岩に打ち付けられ、獣人の爪で裂かれた背中の傷がじくじくと痛む。段々と胸に抱く赤子の鳴き声が遠くなっていくのを感じながら、モルガはとうとう目を閉じた。「ハ! ハハハハハハハ!! 刃鮫にでも喰われてしまえば良い!!」 モルガと赤子が海に落ち見えなくなると、置屋は狂ったように嗤い声を上げた。放心して海を見つめていた獣人達は、その笑い声を聞くと崩れるようにその場へ膝を付く。「……で?」 置屋の笑い声が耳に障ると、デリヘルが眉を顰める。「ハハ、ハ……」 焦る事も無くうんざりとした様子のデリヘルに、置屋は笑うのを止めた。「こんな陸から離れた海の上に大きな船で、漕ぐ獣人も騎士も使い物にならない。さて、どうするのかしら?」 私は幾らでも陸へ戻る手段があるけれど、と首を傾げるデリヘルの言葉に、置屋は船上を見渡した。デリヘルによって動けなくされた護衛騎士に、傷だらけで放心した獣人。それに己が切りつけ止めを刺した従者が転がっている。船内へと続く道を作るように、動かなくなった獣人が転々と倒れていた。 こんな海では逃走する手段も無い。捕まるくらいならばと、自らも海に身を投げる事も腹を切る気概も、置屋には無かった。 「――フン。さっさと殺せ」 自棄糞になったのか、貴族らしくなく床にどかりと座る置屋にデリヘルが言った。「ねえ。彼等の首輪、外してくれない?」「――外せん」「外せない? どうして」 奴属の首輪は確か、付けさせた者が解除するか、又は付けさせた者と付けられた者のどちらかが亡くなれば解除される筈だ。「首輪を付けた主は別に居るからだ。私はその者から譲られたに過ぎん」「……奴属の首輪は、付けさせた者から離れられない筈だけど」「私を殺せばいい。そうすればわかる」 逃げる事が出来ないならば、このまま捕まり惨めたらしく貴族裁判に掛けられるより、この場でデリヘルに屠られた方がマシだ。そんな腹積もりだろうが、挑発するように言い捨てる置屋に、デリヘルは面倒そうに溜息を零した。 まだ処置していない者が居ないかどうかの最終確認をして、バルドがこの救助活動の完遂を告げた。「――これで、全部だな」 まだ眠っている者もいるが、意識が戻り戸惑っていた者も今は何とか落ち着いている。皆の頑張りもあって、この部屋に居た者の中で死者を出さずに済んだのだ。ドS天使も、くしゃりと笑って皆を労う。「お疲れさまでした……!」「はあぁぁぁ……」「良かった~」 エレンとデリヘルは慣れない救命活動に余程気を張り詰めていたのだろう。二人背を合わせ崩れるように、床へと座り込んだ。「――なかなかハードだったわね……」 檻から出したり、薬を飲ませ回復を確認したものから浄化魔法を掛けたり水を飲ませたりと、やれる事はやれるだけやった。エロ同人も疲れ切った表情で壁に背を預けた。 やっと訪れた安堵感に緊張の糸がぷつりと切れて、エロエロ達も床にごろりと寝転がる。暫く息を整えた後、トートがそういえば、と、口を開いた。「マリーちゃ~ん。確か青い薬ってさ、疲労回復にも効くって言ってたよね?」「はいぃ……」 トートに言われると、ドS天使は疲れを押し殺して青い薬瓶の元へと這い寄った。それから薬瓶にしがみ付き、精いっぱいの笑顔でこう言った。「皆さんもおひとつ、お薬いかがですか?」「……もらうわ」「わたしも……」「「くれ~……」」「……甘いの欲しい」「いただこう」「頼む」 ドS天使は皆の手に飴玉のような青い薬を握らせていく。配り終えれば自らも摘まみ、薬を高々と掲げて見せた。「それでは~。無事救助を終えまして~。かんぱーい!!」「「「「「「「かんぱーい?」」」」」」」 ドS天使が薬を口に放り込むのを見て、皆も一斉に口の中へと放り込む。バルド達は飴のような薬は噛むと苦い粉が出てくると知っていたし、デリヘルは初めてこの薬を渡された時「飲み込め」と言われていたので、ほんの少し飴の甘さを楽しんでから皆が一息に飲み込んだ。 だが、デリバリーヘルスは齧ってしまったようだ。「うぐっ」「あー……ごめんなさい。噛むと苦い粉出てくるって言い忘れてました」「いや、ポーションに比べれば問題な……んだ、これは……?」 飲み込んだ途端に、先程まで鉛のように重かった身体が驚く程軽くなっている。信じられない思いで、デリバリーヘルスがなんとはなしに己の掌を見ると、心なしか手入れした女性の手のようにふっくらとして、掌にあちこち刻まれた小さな傷も、指先のささくれもきれいに無くなっている。硬い剣ダコも、心なし柔らかい。 愕然とした表情で固まったデリバリーヘルスの横から、今度は気の抜ける声が上がった。「あ゛ー……。マリーちゃんの薬初めて飲んだけど、こりゃ効くわー……」「なー? 効果は目撃してるけど、実際経験するとヤっバイな!」 まるで温泉に浸かった後に整体魔道具に座ったおっさんのような声を漏らすトートに、ラルムも頷く。 傷をきれいに治して、その上疲労回復に勢力増強するだなんて盛り込み過ぎだと半ば信じていなかったが、疲労は確かに回復してしまった。しかも何だか気分爽快で走り回りたい気分だ。ちょっとソープを追って置屋館探索にでも行こうかと腰を上げた時、サルムが興奮したようにラルムの腕を引いた。「ちょ、見てこれ! 二十年前の傷……!!」 サルムは上衣を腹の上まで捲り上げて、右脇腹を指差した。ここにはつい先程まで、周りの皮膚を引っ張る様にして盛り上がった、十センチ程の一本の線があった。ダンジョンに潜っている時に、止せばいいのに人助けをして刺された傷だ。 助けた奴らはサルムを刺して、収納鞄を奪い逃げて行った。持ち主が死ねば収納鞄の空間魔法は解除され、中身が外へと掃き出されるようになっている。それを狙って、初めから殺すつもりで刺したのだ。 勿論、怒ったラルムとトートがそいつらを半殺しにして、サルムの鞄を取り返してくれた。だが結構な深さだったその傷は、サルムの腹に痛々しく残り、二十年経った今でも時々痛み、悩まされ続けていた。 それが、痛みがきれいに無くなって、周りの皮膚を引き攣らせ盛り上がった肉が、ほとんど平らになっている。「まじか!」「……ほんとだ!!」「わ、やめろおい! くすぐったいだろ!!」 傷を確かめる為にトートとラルムがさわさわと腹を撫でるものだから、サルムは堪らず笑いながら身を捩った。それを見たトートとラルムは目を見合わせてニンマリ笑うと、嫌がるサルムの腹を撫で捲る。 おかげでせっかく回復したサルムの体力が、笑い過ぎて少し減ってしまった。「そうか、痛みがなくなったのは、あの時薬を飲み込んだからか……」 じゃれ合うエロエロ達を見て、バルドも己の顔に手で触れた。右目の上から顎にかけ、醜く走った爪痕を触る。抉れた肉はそのままだが、引き攣られていた皮膚がなめらかになっているのは、サルムの古傷と同じだ。 時折思い出したように痛むのがなくなったのは、ドS天使に口移しで薬を飲ませようとした時、誤って飲んでしまってからだった。「――その傷も、治したいですか?」 傷を撫で確かめているバルドに、ドS天使は少し残念そうに聞いた。顔に大きく残る痕は戦う漢の勲章のようで、「ワイルドな旦那様素敵! 抱いて!!」 と、思わせる、大事な萌えポイントだったのだ。 だが、その傷もドS天使の黄色い薬ならば、一度塞がってしまった部分を取り除けばきれいに治す事が出来る。青色の薬では痛みを取る事と皮膚の再生を促す事が限度で、黄色い薬のように欠けた部分までは修復再生出来ないからだ。「――? 傷が好きなのか?」「っいえいえ! 確かに旦那様の素敵要素の一つではありますが、それが無くても旦那様は素晴らしいものをお持ちですから!!」 「特に筋肉とか、腕どころか肩とか背中とか、雄っぱいと呼ぶに相応しい盛り上がった胸筋とか、あげくにぷりっとしたお尻とか!! 素敵が止まらないぃぃ!!」等とはぁはぁしながら叫び出したドS天使に、バルドは引いた。この突然訳の分からない事を言い出すのは、何とかならないものだろうか。 次々と上がる傷跡報告に、エロ同人が心底悔しそうに口を開く。「――しまったわ。美肌効果付きのを貰えば良かったわ……」「あああ~確かに!!」 エレンも残念そうに同意する。最近お肌が荒れやすくなって、くすんだ気がするのだ。青い薬+プラスならば、十六歳の頃のぴちぴちお肌に戻れたかもしれない。 しかし続くドS天使の言葉に、二人はがくりと項垂れた。「青色の薬+プラスはギーアさん達のとこに置いてきちゃいましたから、今持って無いですよ?」「……大人しく販売されるのを待つしかないわね」「ですね……」 失敗から出来てしまった青色の薬+プラスは、ギーア達によって青色の薬一粒入り飴の瓶詰作業を進められている事だろう。無事に帰って販売する事が出来ればいいなと、ドS天使はちょっぴり弱気になった。「――それにしても凄いな。重症度別に目印を付ければ、確かに効率良く救助活動が出来る。 軍の衛生部隊でも是非この方法を取り入れたいものだ」 デリバリーヘルスが目を輝かせてそう言えば、ドS天使は表情を曇らせた。「――これは『トリアージ』と言って、元は私のいた世界でとある国の軍が考案したものなんです。色々と議論は残っていますが、災害時や大事故発生時に被災者が多く出た際、少ない救助者で効率良く救命する為にも使われていました」「とりあーじ」「重症度の高い順に、赤・黄・青〈緑〉で、黒は既に亡くなっている方、助かる見込みの無い方になります。本当は青色の薬も、前世と同じ緑色に着色したかったんですけど……」 薬を開発するに当たり、師匠と共に抹茶や緑葉色野菜やら薬草やら藻等で色付けを試してみたが、養い親の「不味そう」の一言で悉く却下されて現在の着色に落ち着いた経緯がある。 ちなみに彼女はドS天使のちょっと実験心が沸いて作った、アレンジクレソンスープを一口飲んで以来、緑色のものが苦手になってしまった。緑よりも毒色を思わせる緑青の方がマシらしい。 本当に申し訳ない事をしてしまったと、ドS天使はわがままボディの養い親を思い出していた。 そんなしでかしメモリアルを反芻しているとは知らず、バルド達は皆、感嘆の息を漏らす。ドS天使の薬が色分けされているのは只単に効果の違いを示す為だと思い、深く考えもしなかった。だがそれ以外にも色分けする意味があったのだ。 エロ同人はドS天使から預かっていた薬の小瓶を自らの収納鞄から取り出すと、考え込むようにまじまじと眺めながら、ドS天使に問い掛けた。「それで、マリーちゃんの薬には色が?」「はい」 だが、ドS天使の取り出したリボンは赤・黄・青だけだ。バルドは使われたリボンの束を見て、ぽつりと呟いた。「黒は、用意してないのだな」「……っ、はい」 『黒』は切り捨てられた者に付けられる色だ。既に事切れている者も、息はあるが助けられない者も、同じ赤でも年齢や何らかの理由で後回しにされる者も、『黒』の印が付けられた。少ない救命者に少ない薬と医療器具。限られた時間の中で少しでも多くの命を救うには、命の優先順位を決めなくてはならなかった。 けれど、元居た世界で救えなかった命も、この世界では救える可能性がある。だからドS天使は、『黒』のリボンを用意していない。絶対に諦めないと、そう戒める為に。 しかし、軍で行われる『トリアージ』は使える兵力を少しでも長く効率良く使う為に、軽症者を優先的に復帰させる。この事を騎士であるデリバリーヘルスに告げるのを、ドS天使は躊躇った。だが、今告げなくとも『トリアージ』の仕組みを軍で活用するとなれば、結局は同じ事になるのだ。元々その為に作られたのだから。 強張った表情で黙り込み、己を見詰めるドS天使に、デリバリーヘルスは訝し気に首を傾げるのだった。お読みくださりありがとうございます。ブクマも増えておりました。感謝です。まだ…まだ続き書いてていいんだ… 唐突に何かに気付いたのか、ラルムが「あれ?」と疑問の声を上げる。何事だと皆がラルムに視線を向けると、ラルムは辺りを見渡し、それから唖然とした表情で口を開いた。「――出張サービスいなくね?」「っ! ほんとだ!!」「デリヘルさんもいない……?」 救出騒動の最中、皆が出張サービスどころでは無くなっていた。ぶつぶつと何かを呟いて気持ち悪くなっていたし、自分で動こうともしていなかったから、逃げれる訳がないと油断していたのだ。そして何故か、デリヘルまで居ない。 トートが頭に過った事を、ぽつりと呟く。「――落とし穴と鏡の魔道具作ってたけど、まさか」 トートの言葉にバルドも顔を強張らせた。初めてソープがデリヘルを連れて来た時、デリヘルが何故かやたらとドS天使に手を出そうとしていたのを思い出す。そして趣味が刺客等と、巫山戯た事を云う、妙な女だと思ったのも事実だ。 けれど、デリヘルは落とし穴と鏡の解除をしてくれた。モルガを見捨てようとした騎士に憤ってもいた。 信じたい気持ちと疑ってしまう気持ちが、バルドの中で鬩ぎ合う。エレンまでもが信じられないと口元を手で覆った。「まさか、そんな、デリヘルさんが……?」「――デリヘルさんは、違うと思います」 皆がデリヘルを怪しみ始めた中、ドS天使だけが否定の言葉を口にする。ドS天使は口を一文字に結び、きつく目に力を入れて、デリヘルを疑うバルド達を見ていた。「……ドS天使」「だって薬のお礼に、私は標的にしないって言ってくれました!」 あの時までは、もしかしたらデリヘルにはドS天使に関する依頼があったのかもしれない。けれど、薬を飲んでから変わったのだ。それに、どこか光がない暗い瞳も、魔道具の話をしている時はとても活き活きと輝いていた。熟女が良い騎士だと判った時、デリヘルは嬉しそうだった。「私も、あのお姉ちゃん好き……」 デリヘルもデリヘルを信じていた。孤児だから取り合ってもらえないのかと絶望した時に、背中を支えてくれたのだ。デリヘルの代わりに、騎士達と話もしてくれた。 幼い少女二人は、デリヘルを信じている。トートは迂闊な言葉を口にしてしまったと、気不味げに頭を掻いた。「うーん。ソープばあさんが合流してくれたら、判断材料も増えるんだろうけど……」「そう言えば遅いわね。まだ探索に時間が掛かってるのかしら?」 トートの言葉に、エロ同人も困ったと頬に手を当てる。何せ、エロ同人がデリヘルと顔を合わせたのは今日で二度目だ。ソープが信用しているらしいが、そのソープも今この場に居ない。「俺等がこんなとこに居るの、わかんないんじゃね?」「だなー。入って来たのとは違う地下だし」「俺等で見てこようか?」「そうねぇ……」 エロエロ達がそう名乗りを上げれば、エロ同人は部屋を見回した。救助した被害者は意識が戻った者も幾人かはいるが、殆どがまだ気を失ったままだ。被害者達を一早く安全な場所へ移動させた方が良いだろう。 それに後始末を指示されたらしきカロルクの冒険者質の他にも、まだ館の中に隠れている者がいるかもしれない。 二手に別れるべきか、大人しくソープが来るのを待つべきか。悩むエロ同人に向かい、デリヘルがめいっぱい手を上げた。「私も行く!」「デリヘル……」「私の耳、役に立つよ! それに、モルガお姉ちゃん早く見つけたい!!」「でもデリヘル、貴女、もうとっくに寝てる時間だし、さっきまでおなかも空いてるって」「だ、大丈夫! マリーちゃんのお薬飲んだら、元気出たし! おなかは、がまんする……」 言われた途端、忘れていた空腹を思い出してしまう。くぅと小さくなる腹を擦って、デリヘルの耳はへにょりと垂れた。けれど、どんなに空腹を感じてもモルガを助けたい。空腹が何なのだ。もっとずっとお腹が減ってた時があったじゃないか。 デリヘルは絶対に行くのだという意志の強い眼で再び顔を上げ、エロ同人を見つめた。「私も行きます!」「マリーちゃん……、貴女」「大丈夫です! 前世では仕事で二徹三徹当たり前でしたし、一日の纏まった睡眠時間二時間~四時間がデフォでしたから!」「「「「「「「え……」」」」」」」「捕虜として捕まって、拷問でもされてたのか……?」 敵兵から情報を聞き出す為に、眠ることを許さない拷問方法がある。デリバリーヘルスの言葉に、バルド達は顔を青くしてドS天使を見た。前世では三十七歳と知っていても、どうしても今の幼い姿で想像してしまう。 大丈夫と伝えるつもりが逆に心配させてしまったと、ドS天使は眉尻を下げた。「んーと、勿論睡眠時間少ないとミスも増えますから、時間見つけてちょい寝するんです。二十分くらい寝れば少し回復できますから。忙しい時は眠る暇も無いから、落ち着いたら纏めて寝ればなんとかなるんですよ。一日の睡眠時間じゃなくて、一週間の睡眠時間と考えれば!」 事も無げに言うドS天使に、トートが悲壮な顔で呟いた。「俺……まじで異世界行きたくないわ……。寝る時間削って働かされるって事だろ……?」「俺も……」「どんどん憧れの異世界像が壊れてくな……」 未知の技術や美味しいものだらけで便利な世界というイメージだったのに、ドS天使の話を聞く度に、この世界がマシに感じる。 バルド達はドS天使の前の世界にどん引いた。 デリヘルだけでなく、ドS天使までもが行く気満々なようだ。バルドは溜息をついて、エロ同人に声を掛ける。「エロ同人。デリバリーヘルスとエレンの三人だけでこの場を何とか出来るか?」「そうねぇ……」 エロ同人は一番の不安要素であるデリバリーヘルスをちらりと見ると、デリバリーヘルスは鼻息荒く胸を張った。「まかせてくれ! エロ同人様は何としても私がお守りする!」 どんと自らの胸を叩くデリバリーヘルスに、エロ同人は嫌そうに顔を顰めた。エロ同人ではなく被害者やエレンの事を守って欲しいのだが、デリバリーヘルスは真っ先にエロ同人を守ろうとするだろう。 それにやたら鼻息が荒いのが気持ち悪い。正直バルドにまで行かれてしまったら、どうなるかわからない。エロ同人の堪忍袋はとても切れやすいのだ。 そんなある意味エロ同人の危機に、救いの声が響く。「――こんなとこに居た! バルドの旦那、ダメだ。置屋がどこにもいない!!」「ソープ叔母さん!」「ソープ……!! 助かったわ……!」 息を切らして現れたソープに、エレンとエロ同人が飛び着く勢いで駆け寄る。エレンはともかく、エロ同人にまでこんなに熱烈に出迎えられると思ってもいなかったソープは、目を忙しなく瞬かせた。「ねえ、モルガお姉ちゃんは!?」 置屋が見つからないという事は、モルガは一体どこに居るのだろうか。エロエロ達は置屋館にモルガが入ったのを見たと言っているし、攫われた被害者が集められたこの部屋にも姿はない。 縋り付く様にソープのスカートを掴むデリヘルを、エロ同人がそっと抱きしめ、背中を撫でる。「デリヘル、落ち着いて」「エロ同人様……」 モルガは置屋と一緒に連れて行かれてしまったのだろうか。もう二度と会えないのではないかと、デリヘルは涙を流してエロ同人を見上げる。 そんなデリヘルを落ち着かせるように、エロ同人は泣く事は無いのだと明るく笑って、片目を閉じて見せた。「貴女の耳で探せない? ここを見つけられたのもデリヘルだわ」「――っ、はい!!」 エロ同人の言葉に目を見開き、零れていた涙を乱暴にぬぐい鼻をすすると、デリヘルは脇目も振らずに部屋の外へと跳び出した。「ソープ! お願い! トート達も!!」「はい!」「「「わかった!」」」「待ってください! 私も……!」「駄目よマリーちゃん。ここは足が速いソープ達に任せましょ。トート、私が預かってた薬よ。持ってって!」 獣人のデリヘルの脚に追いつけるのは、エロエロとソープくらいだ。 エロ同人が投げた小瓶をトートが受け取ると、ソープとエロエロ達は直ぐにデリヘルを追っていく。ドS天使は心配そうに、その後姿を見送るしかなかった。 「……はあっつ、はあ、はあ……」 ドS天使達が懸命に救助活動をしている隙に、それまで廃人のようになっていた出張サービスは、そっと部屋から遠ざかり、館と森を繋ぐ薄暗い地下道を走っていた。「くそっ……冗談じゃない……!!」 置屋は出張サービスを切り捨てた。使い捨ての冒険者達と同じように。自分だけは見捨てられる筈はないと信じ切っていた出張サービスは、早急にこの危機を乗り越える事を考えねばならなくなった。 警備兵が詰める砦に戻っても、熟女が待ち構えている。ならば、門を通らずに森を抜け、隣街のカロルクへ助けを求めるしかない。 図体ばかりでかいメルクの冒険者ギルド長は中身も木偶だから使えなかったが、カロルクの冒険者ギルド長は奴とは違い、融通が利く男だ。 あの街の冒険者に護衛をさせて、王都へと戻るのだ。実家へ帰りさえすれば、親が何とかしてくれるだろう。今までもそうであったように。 逃げ切れると確信している出張サービスが地下道から地上へ出た姿を、黒い影がじっと見ていた。出張サービスが森へと入るのを見届けてから、影は興味を失くしたようにゆらりと揺れる。 大きな黒い影は、ばさりと羽音を立てて、海の方角へと飛び立っていった。 置屋館の裏手は森だ。この森はピピ角牛の生息する山と繋がっている。山側に入らずに森の中を下っていけば、メルクの入り口である門の前に出る。 メルクからカロルクへと繋がる道は森の中を通っていて、出張サービスは部下達に商人を襲わせ森の中へ追い立てては、その命と財産を奪っていた。 その森の中間部を進みながら、出張サービスは最近の収穫を思い出す。カロルクの冒険者ギルドで護衛を雇った豪商一家が小賢しい事に、潰れそうなメルクの冒険者ギルドから、わざわざ冒険者を指名して呼び寄せていた。 大した事がない只の冒険者の分際で、女に持て囃され、人に好かれ調子に乗っていた男だった。あの男を散々甚振り倒し、磔にしてやった事を思い出す。確か丁度、この辺りだ。 出張サービスの口元が自然と歪む。目の前で護衛対象者を嬲り、犯した時の怒りと無力感に苛まれるあの男の顔は、何度思い出しても愉快だ。「……ふん。奴の拡張鞄から出た獲物くらい、持ち出せば良かったか」 負かして奪った拡張鞄は、勝利者の戦利品だ。持ち主が死ねば外へと掃き出される物の中で、相手が愛用していた武器をコレクションする事は、特に出張サービスの自尊心を満たしてくれた。「まあ、いい。後で回収させて……」「――よぉ、出張サービス。殺されに戻ってくるとは、なかなか殊勝な事じゃねえか」 突然目の前に立ち塞がる様に現れた男に、出張サービスは信じられない思いで目を瞠った。己が散々嬲り殺し、磔にした男が目の前に立っている。「な、何故だ……? 何故そこに居る!? 鞄は確かに、解除された……!!」 ハウノから奪い取った収納鞄は持ち主のハウノが死んだ事により、空間魔法が解除され、中身は全てぶちまけられた。ハウノの愛用していた双剣は今、置屋館にある出張サービスの部屋で、一等目立つ位置に戦利品として飾られている。「地獄から戻されちまったんだよぉ。おまえを野放しにするなとな!!」 ハウノが振りかぶったナイフの切っ先が、出張サービスの眼球を霞める。醜い悲鳴を上げながら、出張サービスは転がる様にハウノから逃げ出した。「な、何なんだ、あれは……! 確かに死んだ筈だ!! ――まさか!」 ハウノを殺す少し前、襲わせた商人が何故か生きてメルクに辿り着いていた。拷問にかければ、生き返った時に子供に薬を貰ったと言っていた。「そうだ……! あの子供じゃないか!! 何故俺は気付かなかったのだ!!」 置屋の指示でモルガの店に回収に行ったエルフと子供。あの子供が出張サービスに飲ませた飴で、傷も痛みも瞬時に治ってしまった。薬というからポーションだと思い込んでいたが、あの子供の飴が商人を生き返らせた薬なのだ。「あの子供を手に入れれば――!!」 あの子供の価値を知っていたから、置屋はモルガに仕入れさせたのだろうか。否、知っていたなら競りにかける筈がない。例え知っていたとしても、置屋は既に逃げている。今手に入れられるのは自分だけだ。 あの飴のような薬を子供に作らせ貴族達に見せれば、王族ですら出張サービスに膝を付き頭を下げて、薬を売ってくれと懇願するだろう。 このまま森を出ればメルクとカロルクを繋ぐ道に出る。カロルクで手勢を揃えて、直ぐにあの子供を奪いに戻らなければ。そう考え付いた時、何者かが逃げる出張サービスの行く手を塞いだ。「――おいおい。俺はハウノが居るって聞いて来たんだ。なんで出張サービスの野郎がここに居る?」 何故と聞きたいのは出張サービスの方だ。出張サービスは突然現れた男に、また目を見開いた。確かこの男は片足を失くして冒険者から肉屋になった、情けない男だ。「――邪魔だ肉屋! そこを退……け?」 片足を失くした男の脚が、二本揃って立っている。唖然とドM天使の脚に見入っていると、出張サービスの背後から声が増える。「ドM天使じゃねえか! お前、足!……そうか、あの子か!!」「兄貴。こいつに殺されたって聞いたんだが……嘘だよな?」「ああ本当だ。殺された。護衛してた商人家族と一緒にな……」 ハウノが憎しみを隠さず、出張サービスを睨目付ける。会話する兄弟に挟まれた出張サービスは、だらだらと冷たく嫌な汗を流し、身動きが取れずに居た。 兄弟がにやりと笑い、出張サービスを見る。兄弟とは言え顔つきは違うのに、笑い顔はそっくりだった。「――あの子にバレる真似すんじゃねぇぞ。きれいに、跡形も無くだ」「ああ、わかってるよ。スライムで、だろ?」「ひ……!!」 何時も弱者を甚振る時の、出張サービスと同じ獰猛な目だ。その目向けられて、出張サービスは腰を抜かしてべしゃりと地面に尻をついた。ガタガタと震え蒼褪める様も、じわりと広がるシミも、かつて己が見下し屠って来た弱者と同じだ。「その前に、散々甚振られた礼はしねえとな? まさか、自分だけがいつまでも無事でいられるなんて、思ってねえだろぅ?」「わ、悪かった……! 命だけは……!!」「……ハっ! 命乞いした商人に、お前はどうしたよ?」「薬……! そうだ、あの薬で助かったのだろう? ならば商人達もあの子供に薬を作らせて……!!」 死んだ筈のハウノが目の前に居るのだ。一緒に死んだ商人も生き返っている筈だ。まだならば、あの子供に薬を作らせ生き返らせれば良い。あの子供の居場所を教えるから。 そう言って無様に命乞いする出張サービスに、ハウノは暗い笑みを作り、こう言った。「――残念だが、ここにあの子の薬はねえんだよ」 腰を抜かし、みっともなくも地べたに這いつくばる出張サービスの顔を、濃く伸びた影が二つ重なり、覆っていく。 二つの影を作るのは、あの子供の髪と同じ、淡金に輝く月だった。 満月の夜は波の満ち引きが激しくなる。荒く波打つその海原を、一隻の大きな船が走っていた。 奴属の首輪で縛られた獣人が数十人。頻りに鞭を打ち付けられながら休むことも許されず、船のオールを漕がされ続けている。 鞭を持つのは貴族の男だ。ごてごてと宝石をあしらった生地の良い服は、くどい位に金糸で縁取られ、がなり立てている男が身に付ける事で、より一層趣味の悪さを強調していた。「ええい! もっと早く漕がぬか!!」「ギャンッ」 男が苛立たし気に鞭を振るえば、運悪くその側で漕いでいた獣人の背が裂け血に濡れる。仲間が鞭を打ち付けられては唸り声を噛み殺し、獣人達は男を睨む事しか出来なかった。 獣人達に填められた奴属の首輪。これには装着させた者の側から離れる事も、自決する事も、襲い掛かる事も出来なくする闇魔法の術式が組み込まれている。元々は罪人を一時的に拘束する為に、『異界の迷い子』が手枷として発案したものだった。 それが今やゴルデア国では、より屈辱を与える為の首輪へと形を変えて、力が弱い人族が身体能力で叶わない他種族を騙し、労働力とする為に使われている。 そして勿論、種族の関係なく奴隷制度というものは、世界条約で禁じられている筈だった。「……なんだ、その生意気な目は」 男が冷めた目で床に転がる女の髪を乱暴に掴み上げれば、焦げ茶色の艶やかな髪がぶちぶちと抜かれる音がする。痛みに堪え歪む女の顔を、男は愉悦の目で舐めるように眺めた。「――ふん。従順な振りをするオマエも楽しませてくれたが、反抗的なのを屈服させるのもさぞ愉しめそうだ。なあ、モルガ。オマエは本当に、愚かでかわいい女だ」 男がベロリとモルガの頬を舐めれば、モルガは男の顔に鍔を吐きつけた。「……誰が、オマエなんかに」「舌を噛むか? 噛めるのか?」 出来もしないだろうと嘲う男の手が、モルガの首筋から胸元へと這っていく。込み上がる吐き気に顔を背けるモルガを愉快そうに嗤って、男は背後に控えていた従者に視線を投げた。 その視線で恭しく一礼をして出て行った従者が手にして戻ったのは、小さな揺り籠のようだった。「お前が探していたのは、これだろう?」 男の言葉に、モルガも、そして獣人達もが一斉に目を瞠り、その揺り籠を見る。男の手で乱暴に首根を掴み上げられ持ち上げられたのは、ぐったりとした獣の赤子だった。 獣人達は一斉に咽を唸らせ、首輪を断ち切ろうと暴れ出す。モルガは悲鳴を上げながら、男の脚に縋った。「やめて……! 乱暴に扱わないで……!!」「獣人なら赤子でも頑丈だろうに」「お願い、その子に手を出さないで……!! 何でもするから……!!」「何でもと言ってもなぁ。器にもならないオマエに、価値なんてある訳ないじゃないか。ただ見てくれの良い、使い捨ての飾りだろう?」「っ……!!」 男の言葉を聞いたモルガは己の無力さを呪い、一粒だけ涙を零した。魂が抜けた様に表情を失くし、力無く男の足元に膝を付いたモルガの耳元に顔を寄せ、男は楽しそうに追い打ちをかけていく。「オマエには首輪を付ける必要も無い。どうせ何も出来ないのだから」 高らかに笑い声を上げる男の足元で、俯いたままのモルガの口元が歪む。「――――出来るわ」 そう宣言した瞬間、モルガは男の股に手を伸ばした。男が逃げる隙も与えずに長く尖る様に整えた爪を立てて、力一杯捻るように握り潰す。「っ……!? ぐうっ、あっ!? ……ぎゃあぁあああぁぁ!!!!」「置屋様!?」 男はあまりの痛みに悲鳴を上げて、無様にも悶えながら床に倒れ込む。その悲鳴に慌てて主へと駆け寄る従者を置屋と呼ばれた男へと突き飛ばすと、二人は縺れ絡まる様に床へと転がった。 モルガはその僅かな隙に、置屋の手から投げ出された小さな揺り籠を拾うと、艦板へと続く出入口に駆け出していく。そこには監視役の護衛騎士が一人、立っていた。「貴様……!!」「邪魔、しないで……!!」 護衛騎士がモルガを捕えようと構え、立ち塞がる。モルガは揺り籠を守る様に抱え込むと、騎士に体当たりしてでも外へ出ようと身構えた。 だが、その騎士は不意に横から跳び出した獣人の体当たりによって突き飛ばされて、壁に強く打ちつけられ、あっけなく気を失ってしまう。 不安気に振り返るモルガの瞳を、獣人達はしっかりと見て強く頷く。そしてモルガの躊躇いを払うように一人が咆哮を上げれば、残る獣人達も一斉に高く声を上げた。 その咆哮はビリビリと船腹を揺らし、船中へと響き渡って行く。「……行け!!」「お守りしろ……!!」「我等が王の子を……!!」 奴属の首輪を嵌められた獣人達が、モルガを囲み、壁となる。先程の咆哮で異常を察し駆けつけた護衛騎士達に抵抗出来ぬまま切りつけられ、次々に仲間が倒れても、獣人達は囲みを崩さずにモルガを船上へと連れて行った。 だが漸く船上に辿り着いても辺りは黒い海が広がるばかりで、陸がどれほど離れているのかもわからない。 生き残った獣人はモルガと赤子を除けば五名のみ。それも全員が気力だけで立っている状態だ。 護衛騎士の剣に囲まれ、じりじりと船の手摺まで追い込まれた獣人達は、それでもモルガと赤子を背に庇い続けた。「――残念だよ、モルガ……。オマエでもう少し楽しみたかったのに」 前かがみに股を手で押さえ、従者に肩を貸させた置屋がやってきた。「――私はもう、うんざりだわ。オークみたいに腰を振るしか能が無いんですもの」 モルガが心底嫌そうに鼻で笑えば、獣人達がどっと笑い声を上げる。護衛騎士達や従者までもが思わず肩を揺らし、噴き出すのを堪えていた。「貴 様 らぁぁぁぁ!!」 それに腹を立てた置屋が剣を凪いで、肩を借りていた従者を切り付ける。突然間近から切り付けられた従者は抵抗する術も持たず、腕を切られ床に倒れた。「ギャっ……!!」 倒れた従者の腹に剣を突き立て止めを刺すと、置屋は荒く肩で息をしながら獣人達の背に庇われるモルガを睨みつける。その眼は真っ赤に血走り、置屋がどれ程怒り狂っているのかを表していた。「――殺せ。器ごと殺して構わん」「ですが、かの方は」「早くせんか!!」 置屋の命令に、護衛騎士は躊躇った。己の命を遂行しようとしない護衛騎士に苛立ち舌打ちをすると、置屋は自ら血に濡れた剣を振るい上げる。 獣人達は盾となるべく身構えて、モルガはせめて揺り籠だけは守ろうと背を丸め、懐に抱え込んだ。 ――ここまでか 獣人達もモルガも諦めかけたその時、突然女の声がした。モルガとは違う、やたらと気怠げな声だ。「女子供に、その扱いはないんじゃない?」 置屋が背後を振り返るが誰も居ない。「ここよ、ここ」と呆れる声に空を見上げれば、マストのてっぺんに人影が見える。月を背に顔も見えない黒い影に置屋が訝し気に目を細めると、人影はバサリと大きな羽音を立てて、甲板へと降り立った。 女の頭から生えた大きな黒色の羽は、まるで結い上げた女の髪のように畳まれる。その奇抜な髪形を目にし、置屋は女が誰なのかに漸く気付く事が出来た。「貴様……あの子供を連れて来ぬどころか裏切りおって!!」 このデリヘルという女は、かつて他国で気紛れに暗殺業をしていた。そんな女がこのゴルデア国で堂々と魔導具士として働けているのも、己が便宜を図ってやったからだ。商業ギルドに口を利き、その代わりに必要な時は恩を返させるつもりだった。 実際、既に目障りな何人かはデリヘルに始末させている。置屋はゴルデア国の身分証明と引き換えに、デリヘルという便利な駒を手に入れたのだ。 なのに今回は違った。デリヘルは依頼した子供に接触しても一向に連れてくる気配も無く、それどころか予定を変えてエルフごと攫う計画さえも、デリヘルによって阻止されてしまった。 怒りがなり立てる置屋に、デリヘルは詰まらなそうに首を傾げる。「あら、一度だって置屋様の依頼を受けた覚えはないわ。押し掛けて来て一方的に話すから、仕方なく聞いてたけど」「何だと……?」 置屋の依頼してきたターゲットと、自分が標的にした者が偶々同じだっただけ。そのどれもが置屋に負けず劣らずのクズ貴族達だった。本調子だったならば置屋も標的にしていたとデリヘルが言えば、置屋は唖然と口を開いたまま固まった。「それにあの子には恩が出来たの。あの子がその女を心配してたから、貰ってくわ。……私を騙した事は許さないけどね」 デリヘルが頭にそっと手を入れれば、次の瞬間には置屋を除いた護衛騎士達が動きを止めた。首を覆う鎧の隙間から、先程までは無かった長い針のようなものが生えている。「何をしておる! さっさと捕えんか!!」 置屋が動かなくなった護衛騎士を見回せば、突然動かなくなった己の身体に、護衛騎士達は混乱しているようだった。 動けるのは五名の獣人とモルガと赤子。そしてデリヘルと置屋のみ。己の置かれた立場に震えながら再び視線を戻す置屋に、デリヘルは薄い唇でにぃっと弧を描く。「ま……待て。そうだ、望むままのの金をやろう!! 欲しければ貴族籍もくれてやる!!」「要らないわよ、そんなもの」 興味が無さそうにデリヘルが言えば、置屋は焦りを隠さずに命を乞うた。「領土……領土も半分やろう!! そうだ、王族にも話を付けてやる!! 王族お抱えにもなれるのだぞ!? な!?」 王族の名を出せばデリヘルが喜んで頷くと確信しているのか、置屋は媚びるように笑顔を向ける。 だがデリヘルは心底嫌そうに顔を顰めて、吐き捨てるように言った。「馬鹿言わないでよ。もうすぐ滅ぶ国の王に飼われたいなんて、誰が思うのよ」「……ほろび、る?」「――まさか気付いてないの? どうやってるかは知らないけど、あれだけ入って来る情報も出てく情報も操作してるくせに?」 信じられないと呆れるデリヘルに、置屋は必死の思いで思考を巡らせる。だが一向に思い当らない。あの方の言う通り、上手くやっていた。アレがある限り、他国にこの国の中の事を気付かれる訳が無い。 それに獣人の王の子供を攫ったが、そもそも家畜と変わらない獣人なぞ、どう扱っても文句を言われぬ筈だ。実際、獣人の国から証拠も無いのに抗議が上がっても、それ以外の国はだんまりを決め込んでいるのだから。 思考に囚われ黙り込んだ置屋に、デリヘルはお道化るように肩を竦めて見せた。「安心して? 置屋様は、ちゃーんと法で裁いてもらうらしいから」「私を裁くだと……? そんな事が出来るものか!! あの方が、あの方がきっと――」「あら。蜥蜴のしっぽ切りって、お貴族様の嗜みなのでしょう?」 デリヘルの言葉に、置屋は口を閉ざした。デリヘルの言う通りだ。己も出張サービスを切った。役に立たなければ、邪魔になれば、貴族は保身の為に血縁者でさえも切り離す。競りに参加していた貴族達も、今頃はこぞって保身に走っている事だろう。「――は、ははははは! それもそうだ。あの方ならば、間違いなくそうするだろうな」 突然笑い出した置屋に、己もしっぽ切りされる可能性に気付き、とうとう頭が可笑しくなったのかとデリヘルが片眉を上げる。 ひとしきり笑い声を上げると、置屋はぽつりと呟いた。「――ならば尚の事、渡すものか」 置屋の呟きを拾ったのは獣人だけだ。ぎくりと身じろいだ獣人達に向かい、置屋はにやりと笑う。不穏な気配に気付いたデリヘルが口を閉じさせようと動くが、間に合わない。 愉しそうに口を大きく開けて、置屋は命じた。「殺せ! お前達の王の子を!!」「!?」 奴属の首輪を付けさせた者の命令は絶対だ。どんなに心が拒否しても身体は勝手に動いてしまう。「に……げろ……!!」 やめてくれ、止めさせてくれと苦しみ呻き、鳴きながら、獣人達は今の今まで守っていたモルガと小さな揺り籠に、その牙を剥く。 モルガは苦しそうに歪む獣人達の顔を見詰めながら涙を零し、首を横に振った。今尚、己の意思と反する身体に抗おうとしている獣人達を見捨てたくない。あの首輪さえ無ければ、彼等はあんな男の言いなりにならずに済んだのに。 モルガは手枷を発案した『異界の迷い子』を恨みながら、唇を噛み締める。 じりじりと後退るモルガの背が、船の手摺に当たった。「……!」「ガアァァァァァ!!」 獣人の鋭い爪が振りかざされたのを目の端に捕えながら、モルガはその身を黒い海へと投げ出した。 隠し扉の中に降りれば、真っ直ぐに続く廊下の両側にいくつもの扉があった。廊下の奥へと歩くにつれて、漂う甘ったるい香りが濃くなってくる。 その香りで、真っ先にデリヘルの様子がおかしくなった。頭に靄がかかったようにぼぅっとする。頭がぐらりと傾いて、とうとうデリヘルはバルドの肩から落ちてしまった。「デリヘル!」「デリヘルちゃん!」 落ちて来たデリヘルを受け止めて、エロ同人が風魔法でデリヘルの顔の周りに空気の層を作り出す。香りが消えて少し楽になったのか、苦しそうだったデリヘルの表情は少し和らいだようだった。薄っすらと目を開けて、廊下の突き当りに指を差す。「……あそこ、あそこの中から声が聞こえる」 突き当りにある扉に近づく程強くなる甘い香りに、鉄と独特な匂いが段々と濃く混ざってくる。その香りに、出張サービス以外の皆が一様に厳しい顔つきになった。 エロ同人が口元を袖で抑えて呟く。「――この匂い」 嗅いだことのある匂いとその場面の記憶。これ以上先に行ってはならないと、エロ同人はドS天使達に振り返った。「デリヘルとマリーちゃん。それにエレンもここで私と待つわよ」「いえ、私も……!」「見ない方がいい」 自分も行くと口を開きかけたドS天使を、バルドが止める。その真剣な目にドS天使は視線を落とし、小さく頷くしかない。今一緒に行っても、きっと足手まといになる。「私が先に突入しよう。君達は援護を頼む」 デリバリーヘルスからの指示にトートが頷く。デリバリーヘルスの後に続いて扉に向かおうと足を踏み出した時、エロ同人がトートに声を掛けた。「トート。貴方も残っていいのよ?」 エロ同人が気遣うようにトートを見る。もしかしたらこの中に、モルガが居るかもしれないのだ。「――だーかーら! 違うっての。行くよ」「あ、俺残りたい。無理」「俺もすっげー行きたくない……」「トートが行くって言ってるんだから、あんたらも行きなさいよ。男らしくない」「「へーい」」 要らぬ気遣いだと言うトートとは逆に、ラルムとサルムが行きたくないと手を挙げるが、どうやら棄権させてはくれないようだ。 一番男らしくないエロ同人に言われたくはないと不貞腐れながら、二人はトートと共にデリバリーヘルスの後ろへと並んだ。 バルドは肩からドS天使を持ち上げデリヘルの側へ降ろすと、不安そうに見つめ返す幼い二人の頭を優しく撫でた。「……いいと言うまで、耳と目を塞いで待っていろ」 ドS天使とデリヘルはこくりと頷くと、ぎゅっと目を固く閉じて小さな手で自らの耳を塞ぐ。エレンは二人に身を寄せるように、ぎゅっと抱きしめた。 少しでも聞かせたくない音を遮るように、さらにエロ同人が風の渦を作り出す。ドS天使達は遮断された空間で、ただ只管時が過ぎるのを待つしかなかった。 それから数十分も経っただろうか。ドS天使は突如肩を叩かれ、そっと耳を塞いでいた手を離した。気づけば、いつの間にかエロ同人の風魔法は収まっている。 ゆっくりと視線を上げれば、どこか痛そうに顔を歪めたバルドが目の前に立っていた。「旦那様……? どこか怪我を……?」 刃物を刺されても気付かなそうな筋肉の鎧に、怪我でも負ったのだろうか。ドS天使はバルドの怪我を確認する為に、その身体に触れようと手を伸ばした。だが、その手はそっと握られ止められてしまう。「ドS天使、すまんが薬を頼む。俺達が預かっていた薬では足りなかった」「っ……!」「マリーちゃん!!」 悔しさを滲ませるバルドの声を聞くなり、ドS天使は弾けるように駆け出した。制止するエロ同人の手を振り払い飛び込んだ先に広がる光景は、ドS天使が想像していたよりも酷い惨状だった。 立ち尽くすドS天使の後ろで、エレンとデリヘルが「ひっ」と、悲鳴を飲み込んだ。 部屋の奥、弧を描くように設置されたいくつもの檻の中には、それぞれ十数名の女子供が入れられている。 その中央にある大きな寝台の上には、女性だけでなく、ドS天使よりも小さい子供が何人もあらぬところから血を流し、腹を切られ倒れていた。他の者は殆どが背中を切られて細い息を浅く繰り返しているが、中には全く動かず、ぐったりとした者もいる。 寸前まで愉しんで、口封じの為に手を下したであろう男達は、粗方デリバリーヘルスによって切り伏せられ、生き残った者はバルド達によって捕らえられていた。「――突入した時はもう切られた後だった。残っていたのは、こいつらだけだ」「こいつら、見たことあるわ……。確かカロルクの冒険者よ」 あまりの陰惨さに呆然とするドS天使の直ぐ側で、バルドとエロ同人が何かを話している。だが、その声はまるで遠くで話しているかのようで、はっきりと聞こえてこない。 ドS天使の目の前がすうっと暗くなっていくのを感じた時、デリヘルの泣きそうな叫びが聞こえた。「ドS天使ちゃん!」「しっかりしろ、ドS天使! おまえが居ないと助けられない!!」 気を失いかけたドS天使の頬を、バルドがペチリと叩く。霞んでいた視界はぼんやりと戻ってきて、真正面に厳しい表情のバルドが見えた。 きつく手を握られている事に気付き、その手の持ち主を辿る様に視線を移せば、青い顔をしたデリヘルが涙を溜めてドS天使を心配そうに見ている。恐ろしくて泣きたいだろうに、震える唇を噛み締め耐えていた。 ドS天使はぎゅっと目を閉じて、それから両手で自らの頬を思い切り叩く。「っ……たぁーい!! 思いっきり叩き過ぎた~!!!」 ドS天使の雄叫びとも言える自らへの文句に、ぎょっとして周りが振り返る。 ドS天使は何事も無かったように腰のポーチから背負い鞄をずるりと取り出すと、既に救助活動をしていたエロエロ達の方へと駆け出した。「呼吸が止まっていたり、緊急性の高い方はいますか!?」「マリーちゃん、こっち!」「こっち頼む!!」「こっちも!」 バルド達に事前に託していた小瓶の中には、赤と黄色の薬を多く入れていなかった。何人かは薬を飲ませたのか回復している者も居たが、被害者の数が多すぎる。 ドS天使は背負い鞄から赤・黄・青の薬が入ったそれぞれの瓶と、同じ色のリボンの束を取り出した。薬瓶をどん、と床に置き、赤い薬をエプロンドレスのポケットに詰め込むだけ詰め込んで、リボンの束を掴み立ち上がる。「今から私が色違いのリボンを結んでいきますので、リボンの色と同じ薬をそれぞれに飲ませてください! 損傷が激しい場合は噛み砕いて直接刷り込んで!!」「「「わ、わかった!!」」」「旦那様! 檻壊して!!」「ああ!」「エロ同人さんも、お願いします!」「ええ! ほら、デリバリーヘルスもよ!」「は、はい!!」 状態を確認しながらも、緊急性の特に高い者には赤い薬を自ら飲ませていく。ドS天使の指示のままエロエロ達やエレン、それにデリヘルも懸命に手伝うが、檻から出され次々と運ばれてくる被害者の数に追いつかず、どうしたらいいのか混乱し始めていた。 ――その数およそ八十人。もしかしたらもっと居るかもしれない。 その被害者の数に途方に暮れて動きが止まってしまったエレンとデリヘルに気付くと、ドS天使はさらに指示を飛ばした。「エレンさん! 私とエロエロさん達が薬を飲ませます! その方達の回復が確認出来たら、なるべく一箇所に集めてリボンを外してください! 治療済の目印になります! デリヘルも手伝ってあげて!!」「わ、わかりました!」「う、うん!!」 名指しで指示されたエレンとデリヘルは、はっと意識を戻し、再び動き出す。その姿を確認し、ドS天使は軽く息を吐き出してから、まだ診れていない者達に向かった。 被害者に混ざって倒れていた加害者の男。それにも惜しみなく薬を与えようとするドS天使に、デリバリーヘルスは目を見開いた。この男は先程突入した際に、自ら切り伏せた男だ。「待て! 何故、加害者まで助ける必要がある!?」 腕を掴まれ動きを封じられ、ドS天使は苛立たし気にデリバリーヘルスを見据える。今こうして止められている間にも、助けられない命が出てくるかもしれない。「――命は命です。それに証言者として残せるでしょう!? いいから運んで!!」「っあ、ああ……」 小さな少女の気迫に、騎士であるデリバリーヘルスが気圧される。その瞬間に緩んだ拘束を振り払い、ドS天使は時間が惜しいと再び目の前の救助対象者へ取り掛かった。 その姿を少しの間放心して見詰めていたデリバリーヘルスは、指示通りに再び檻の中から被害者を運び出さなければと、混乱する頭でのろのろと動き出す。「うちの子、すごいでしょ?」 エロ同人が極上の微笑みを浮かべながら、デリバリーヘルスに片目を瞑る。いつもならそれだけで昇天しそうなデリバリーヘルスだが、顔を強張らせ、ぽつりと呟いた。「……将軍クラスに叱り飛ばされた気分になりました」「ぷっ! やだ、そんなに!?」「それは……すごいな」 将軍クラスは大袈裟だが、それくらいの気迫を感じた。そう素直に頷くデリバリーヘルスにまた笑ってから、エロ同人はドS天使を見て呟いた。「ほんと、すごいわね……」「――ああ」 懸命に救命活動を続けるドS天使の姿に、バルドは眩しいものを見るように目を細めた。 ピピ角牛狩の時に山で見た、取り乱し泣き縋りながらも懸命に命を救おうとしていた姿を思い出す。きっと今だって、ギリギリの精神状態の筈だ。それなのに誰よりも冷静に、しっかりと指示を出し周りを動かしている。 小さなドS天使に頼り切りなのは歯痒いが、ドS天使が今メルクに、この場に居なければ救うことが出来なかった命だ。少しでも早く救助を終えてドS天使を休ませてやりたいと、バルドは被害者を運び出す速度を上げた。「では、出張サービス様。案内をお願いしましょうか」 ソープが出張サービスを縛る蔓縄を解くと、デリバリーヘルスが剣の柄に手を掛けたまま、出張サービスの背後に付く。逃げる素振りや攻撃してくるようものなら、容赦なく切り捨てるつもりだ。 その後ろを、パンを齧りながらエロエロ達が続き、エロ同人や女性陣が続く。殿はバルドだ。ドS天使とデリヘルはまるで木の枝で休み食事する小栗鼠のように、バルドの両肩に座ってパンを齧っている。そこだけ見ると、何ともほのぼのとする光景だった。 暫く無言で固パンに齧りついていたサルムが、ぽつりと呟く。「……マリーちゃんが焼いたパンが食べたい」「ふわっふわのな~!」「俺、マリーちゃんのパン食べてから、パン屋で売ってるパン食べれなくなったかも……」「……嬢ちゃん来てから一週間も経ってないだろうに、随分と贅沢になったもんだねぇ」 もそもそと口を動かしながら文句を言うエロエロ達に、ソープは目を眇めた。 バターを使う柔らかな白パンは多少値が高くなるが、買うことは出来る。だが、常に肉しか食べていなかったエロエロ達が、いっちょ前にパンについて語るようになるとは、よほどドS天使の焼くパンが美味しかったのだろう。 いつの間にか野菜も食べれるようになっているし、良い変化だと思う反面。ドS天使をこの国から逃がした後、この面々は一体どうなってしまうのだろうかと、ソープは顔を曇らせた。一度向上した生活水準を覚えてしまうと、元に戻すのが難しくなる事を知っているからだ。「ソープおばさん、パン無くなっちゃったわ……」「――は? あんなにあったのに?」 今後のエロエロ達の食生活を心配していると、戸惑うエレンの声が聞こえた。エレンの言葉に目を瞬かせながら振り返れば、両手で抱える程の大きさはあるパン籠の中身が、見事に空になっている。男が多いとは言え、余るくらいには量があった筈だ。「随分早く食べ切ったもんだねぇ……」 ソープが感心したように呟けば、エレンが困ったように眉根を寄せる。「それが、まだ足りないみたいなの……」「は!?」「一籠だけじゃなく、あるだけ全部出したんだけど……」「はあぁぁぁ!?」 固パンは日持ちがするからと、常に店に出す三日分はストックしてあるのだ。具沢山スープに添えて出して浸して食すのが定番で、スープもない今は食べるのにも相当時間が掛かる筈だ。それがこんなに早く、三日分。一日分が籠三つだから、合計九つのパン籠がこの短時間に消費されてしまった。 一体誰がそんなに食べたのかと、ソープが信じられない思いでメンバーを見回せば、バルドの肩にドS天使と一緒に乗っていたデリヘルが、申し訳なさそうに長い耳を前に垂らしていた。「ご、ごめんなさい……」「え!? ええぇ!? アンタが全部!?」 ソープは顎が外れる勢いで口を開けて、デリヘルを凝視した。確かに腹はやたらぽっこりしているが、この小さい身体のどこに、あの量が収められたというのか。「驚きの食欲でしょ? 私も初めて見た時は驚いたのよねぇ……」「デリヘルちゃん、凄く燃費悪いんです……うっぷ」 ゾゾゾと音を立てて、みるみるデリヘルの口に消えていく山盛りの水母料理を思い出し、エロ同人とドS天使は顔色を青くして口元を手で押さえた。デリヘルの食いっぷりは、見ているだけで胸やけする程だ。「あんた……そんな胃袋で、今まで孤児院でどうしてたんだい!?」 孤児院では最低限か、それ以下の食事にしか在りつけない筈だ。あの量を消費して、それでも足りないとなると常に飢餓感に苛まれていただろう。 ソープの問いに、デリヘルは恥ずかしそうに口を開いた。「私、兎の獣人だから……。歯が伸び過ぎないように、木を齧るの」『木!?』 孤児院に入る前。食べれるものが無くて木の皮を齧っていたのは、伸び続ける歯を削る為でもあった。木によっては渋くてとても食べれないものや、樹液で被れてしまうものもある。そうやって命懸けで獲得した、齧っても安全な木の見分けにはちょっとした自信があるのだが、その自信は齧歯類の獣人でもない限り、恐らく共感は得られないだろう。 孤児院のマルク達に見られでもしたら、きっとからかわれるし、恥ずかしくて死んでしまう。だからずっと隠れてこっそり木を齧っていたのに、こんなところで憧れのエロ同人の前で告白する事になろうとは。 デリヘルは羞恥心で目を潤ませた。「か、齧ってるとね、削りカスを少し食べちゃうの。その後お水飲むとおなか一杯になる気がして。削った木の屑を取っておいて、こっそり少しだけ……」「まじか……」「なんか俺、切なくなってきた……」「俺も……」 エロエロ達どころか大人達の目が揃って憐れんでくるものだから、デリヘルは益々顔を赤くして俯いてしまった。だがドS天使だけは違った。ドS天使は落ちないようにバルドの首にしがみ付きながら、デリヘルの方を覗き込んだ。その瞳は興奮しているのか、きらきらと輝いている。「デリヘルちゃん、それどんな木なのか詳しく!」「え!?」「どんな大きさの木ですか? 幹の色とか、樹皮の裏側の色とか……!」「え、えっとね。孤児院の中庭に一本だけあってね、凄く大きな木なの」 葉っぱはどんな形と色なのか、枝はどんな風に広がっているのか、削りカスや樹液の色、樹皮の割れ方等、矢継早に質問してくるドS天使に、デリヘルは戸惑いながらも覚えている事を一生懸命に答えた。 そんなデリヘルの辿々しい説明を聞き終えたドS天使は、唸る様に声を漏らす。「これは……。痩せ薬が簡単に作れちゃうかもですね……」 殆どの植物には不溶性食物繊維が含まれていて、それは水を吸って膨らみ、消化されないのでそのまま排出される。この性質を利用すれば満腹感を与え、尚且つ排便を促す事が出来るのだが、その繊維を取り出し加工するにも大量の植物と技術が必要だ。 だが、デリヘルの話では少しの大鋸屑で相当膨らむらしい。一体どんな木なのか、ドS天使は未知の植物に胸ワクだった。「な、なんだって――!?」「ほんとですか!?」 痩せ薬と聞いて、ソープとエレンが食いついた。食事処を経営していると、繰り返される試食で体重が増えやすい。その分忙しく働いているが、時には運動量を上回る試食も続く。 年頃のエレンは勿論、ソープも怪我をしてから特に太ったのを、実はちょっとだけ気にしていたようだ。「まあ、こういったものは摂取し過ぎると危険なので、容量用法を守らないとなんですが……って、あ~……」 ドS天使にはデリヘルの底なしの胃袋の秘密が解った気がした。長年その木を齧り大鋸屑を食べることを繰り返すうちに、デリヘルの胃袋は少しづつ大きく伸び、そしてすぐに消化し排出しようと胃液も大量に出るようになってしまったのではないだろうか。 これを改善するには時間をかけて少しづつ胃を小さくしていくか、最悪伸びた胃を切除するくらいしかない。 それにいくら便秘に効くと言っても、便秘の時に摂り過ぎればさらに便秘になってしまうし、排出速度が速くなる分、必要な水分まで下痢となって排出されてしまう。これでは内臓に負担が掛かり過ぎている筈だ。 だが、デリヘルのお通じ事情については、今ここで聞くのは憚られるので触れないでおく事にした。「デリヘルちゃん、無事戻ったら対策考えましょう!」「対策……?」「だって、その木がないと何時もおなかが空いてしまうなら、孤児院を出て生活する時に困っちゃいますよ?」「あ……」 孤児院は成人したら直ぐに出て行かなくてはならない。成長速度や寿命が異なる種族毎に違うのが本来正しい在り方なのだが、ここゴルデア国ではどんな種族も女は十二歳、男は十五歳が成人とみなされる。デリヘルは十一歳だから、来年には成人とみなされて強制的に出て行かされることになる。 しかし、街の周辺やギルドの採取依頼で訪れる森でも同じ木を見掛けたことが無いから、あの木はもしかしたら珍しい木なのかもしれない。ドS天使に言われて漸く危機感を覚えたのか、デリヘルは青い顔で何度も頷いた。「嬢ちゃん。ついでに痩せ薬も作ってくれないかねぇ?」「是非お願いします……!」 デリヘルと話し終わるのを待っていたのか、ソープがあわよくばと願い出る。エレンに至っては祈る様に両手を組んで、バルドの肩に座るドS天使を見上げていた。「うーん。痩せ薬と言っても、満腹感を一時的に得て食べる量を減らすタイプですよ? もし便秘でお困りなら良く効くお薬ありますし」「なんだ、そうなのかい……」「試食減らす訳にもいかないから、無理ね……便秘薬はちょっと気になるけど」 あからさまにかっぐりと肩を落とす二人を見て、ドS天使が首を傾げる。「エレンさんは後ほど相談に乗るとして。ソープさんは腰が治ったから、これから痩せてくと思いますけど……」「そうなのかい!?」 途端に、がばりと顔を上げ期待を込めて見上げてくるソープに、ドS天使は頷く。「辛い物や野菜好きですし……。運動能力の高さから見ると、ソープさん元々は痩せていたのではないですか?」「そうねぇ。確かに昔のソープは痩せてたわね」 ソープの性格に嗜好と冒険者だった事を思うと、若かりし頃のソープは恐らくエレンよりも引き締まった身体だっただろう。そう考えての発言だったのだが、エロ同人がそれを肯定してくれた。 ドS天使は「ああ、やっぱり」と頷いて、はた、と、あることに気付く。「……ん? どうした、ドS天使?」 急にじっと見つめてくるドS天使を不思議そうにバルドが見返すと、ドS天使はわなわなと震えだした。 痩せたソープを想像してみると、その豊かな胸はそのままに、健康的に引き締まった腰と脚が魅力的な女性が出来上がる。年齢と共に経験も積んだ、見事な美熟女の完成だ。それにあろうことか、愛しの旦那様はパイラーだ。そして恐らくドS天使よりも年上がお好みだ。八歳児がお好みだったらとんだ事案なのだが。ドS天使はみるみる悲壮な顔になったかと思うと、急回転で首をソープに向け、震える唇を開いた。「エ、エエエエ……ソープさんっ!! 痩せないでくださいぃぃぃぃ!」「はぁ!?」「後生ですからあぁぁぁぁ!!!」「えぇぇ? 何でだい??」 突然号泣しながら叫びだしたドS天使に、ソープも周りも吃驚だ。皆が足を止めてドS天使を見る。「だって旦那様が……! 旦那様が熟女好きだからぁぁぁぁぁ!!」「はぁぁ!?」 一体何時、熟女好きになったのか。身に覚えがない熟女好きのレッテルを貼られ困惑するバルドに、エロ同人達がどん引き始める。「バルド、アンタ……」「「「え……。そうだったの……? ギルマス」」」「違う!!」「小さい子お嫁さんにする、変態のおじさんだと思ってた……」「私もギルマスさんペドだと思ってたわ……」「私も……」「ちが……!!」「貴様……エロ同人様とこんな幼い少女だけでなく、老婦人までとは……」「とんだ変態だな!」「老婦人って何だい!? あたしゃまだまだ現役だよ!!」「違うと言ってるだろう……!!」「つーか、そろそろ着くぞ~」 トートの言葉に、皆が一瞬で表情を引き締める。雑談しながら進んでいたせいで、何時の間にか地下道の突き当りに到着していた。 精神力がゴリゴリ削られてしまったバルドも、先程まで大騒ぎしていたドS天使もびたりと泣き止み、気を引き締める。この先は何が起こるかわからない。「――出張サービス様、わかっていますね?」 出張サービスの背後で、デリバリーヘルスが剣の鍔と鞘を合わせてチキリと鳴らせる。「……ふん。わかっておるわ」 出張サービスは忌々し気にデリバリーヘルスを一瞥してから扉に手を掛ける。中には部下が詰めている筈だ。揃っている数が多ければデリバリーヘルス達に嗾けて、隙を見て置屋の元へ逃げるつもりだった。 ギィっと錆び付いた音を立てて扉が開く。だが、中には数人は詰めている筈の部下が誰一人居ない。タイミング悪く置屋に呼ばれ、使われているのかもしれない。森に捨てさせに行った部下も、まだ戻っていないのだろう。 出張サービスは小さく舌打ちをしてから部屋を抜けた。怖いくらいに静まりかえった仄暗い廊下には、常に配置されている筈の屋敷の警備兵や使用人達の気配も何もない。嫌な予感が頭を過るが、まさかそんな、と、出張サービスはそのまま地上階へと続く階段を上がった。 階段を上がり、道なりに行けば大開口のエントランスが広がっていた。だが、天井からぶら下る豪華な照明器具は煌々と照らしているのに、人の気配だけが消えている。 物音一つしない屋敷に、ラルムとサルムの声が大きく響く。「なんだよ~。もう逃げた後かよー!」「やっぱ遅かったか~……」「そんな、馬鹿な……!!」 出張サービスは叫んだ。見捨てられ置いて行かれたのが信じられないのだろう。きょろきょろと館の中に視線をさ迷わせたかと思えば、遂には自分の爪先を見詰め、「ばかな……ばかな……」と、ぶつぶつと呟き続ける。 ソープはその姿を鼻白んで見てから、そっとバルドに耳打ちをした。「アタシがちぃと、見てきますよ」「頼む」 ソープが頷いて駆けて行くのを見送ってから、ドS天使は先程から静かなデリヘルに視線を向けた。眠いと言っていたから、もう寝てしまったのかもしれない。 と、思えば。デリヘルはどこを見ているのか、見ていないのかもわからない感情の抜けた表情で、ただピンと長い耳を立てていた。「ル、デリヘルちゃん……?」 その異様な表情に、一体どうしたのかと不安になったドS天使が声を掛ける。するとデリヘルはすっと腕を持ち上げ、ある方向へと指差した。「……あっちから、人の声がする」「声……?」「――行ってみましょう。獣人の聴覚は我々よりも秀でてるって言うわ」 エルフであるエロ同人も、小耳の尖ったエロエロ達も聴覚範囲は広い。だが、恐らくデリヘルはそれ以上だ。 ぶつぶつと呟き続けて動かなくなってしまった出張サービスを小突きながらもデリヘルが指差す方向へと慎重に進めば、一階の海側に面した部屋の、角部屋へと辿り着いた。 けれどやはり、部屋の中を隅々まで探しても誰一人残ってはいない。「……誰もいない」「やっぱ聞き間違えじゃない?」「そうだよ。出張サービスさっきからうっせえしなー」 壊れたようにずっとぶつぶつと何か言葉を口にしている出張サービスに、うんざりとした表情でラルムが言い放つ。だが、デリヘルは違うと首を横に振って、バルドの肩から、ぴょん、と床に降り立った。それから懸命に長い耳で音を拾い集め、きょろきょろと部屋の中を見回したかと思うと、唐突に床に這いつくばってしまった。「君、何をして……?」「しっ」 驚いたデリバリーヘルスがデリヘルを助け起こそうと手を伸ばせば、エロ同人がその腕にそっと手を添えて留めさせる。それから自分の唇に指を当てて、皆にしゃべらないようにと目配せをした。 デリヘルが床に耳を当てたまま移動していくと、部屋の奥角に突き当る。そこにあるのは華美な装飾が施された花器と灯り石の飾り台が置かれたコンソールテーブルで、その下には諄い程に高級そうな赤い絨毯が敷かれていた。「……っ! この下から聞こえる!!」 デリヘルの言葉に、トートがコンソールテーブルをどかして絨毯を捲る。現れたのはやはり、何の変哲もない床石だ。だが、トートがその場所に両の手を当て土魔法で感知してみると、確かにこの部屋の壁の下を通り、壁の向こう側の床に空間が開いているのが分かった。 トートは眉を顰めた。「――入ってきた地下とは、繋がってないのか?」「あ……。何かここだけ小さな隙間ありません?」 エレンが指差した石床の一枚に、確かに小さな欠けがあった。エレンが指を入れて引っ掛ける様に持ち上げると、一枚でも重い筈の床石は数枚が板のようにくっついていて、驚くほど軽く持ち上がってしまった。 まさかの秘密の入り口の発見にエレンが固まっていると、その手から蓋となっていた床石を引き取り、バルドが呟く。「隠し扉か……」「うっわ。どんだけ地下開発してんだよ」「悪いことするのは大体地下か海上って、相場が決まってるのよ」「それって暗殺業の経験則?」「経験則」 冗談めかしてサルムが聞けば、デリヘルが肩を竦めて見せた。 何だかんだと全員で行く方向に話が纏まったようだ。ラルムもサルムも仕方無いと、不承不承にも付いていく事にしたらしい。このまま帰ってドS天使達に何かあったら目覚めが悪すぎる。 今日はもう帰れそうにないと、ソープはやれやれと肩を竦めた。それから放ったらかしにしていたエレンに向かって、数十メートルも高い天井へと声を張り上げる。「エレーン! 店の仕入れ用食材、何か持ってるだろ? 投げておくれでないかい――?」「――あるにはあるけど、私はどうすればいいのー?」「アンタは店でもギルドでも戻って待っといておくれ! 夜が明けてアタシが帰らなかったら、ドM天使達と直ぐにこの街を出るんだ! いいね!?」「でも……!」「いいから、とっとと食料寄こしな!!」 まるで飢饉で追い込まれ盗賊に身を窶した村人のように、食料だけを要求してくるソープに、エレンは むぅ と口を尖らせる。 ソープはいつもそうだ。中途半端に巻き込んで、少しでも危険があれば最後まで手伝わせてくれない。 けれど今回ばかりは引く事は出来ない。何としてもソープを連れ帰り、ドM天使と添い遂げて貰わなければ自分が次に進めない。 これは自分の為だ。何せ自分は、そろそろ嫁ぎ遅れと誹られる年齢に差し掛かっているのだから。 エレンはそう自分を励ますように結論付けると、すくりと立ち上がり、落とし穴の底を睨みつける。それから「えい!」と可愛らしい声を上げて、自ら穴に飛び込んでしまった。 店の前に集まっていた野次馬を散らして、侵入禁止用の魔道具を設置していたミケルがその声に振り返ると、エレンの長い焦げ茶の髪先が床に吸い込まれて行くのが見えた。「え、ええぇぇぇぇぇ!?」 ぎょっとしたミケルが手にしていた魔道具を放り投げ、飛びつくようにエレンを掴もうと穴の中に手を伸ばすが、間に合う筈も無い。伸ばした手の先には、穴に落ちたエレンがみるみる小さくなっていく姿があった。「ガ、熟女先輩ー! 女性が穴に飛び込みましたー!!」 ミケルの声に驚いた一同が天井を見上げると、捲りあがるスカートを必死で押さえながら落ちてくるエレンが見える。「エロ同人!」「はい、はい」 穴の底に近づくにつれて押さえても丸見えになっているスカートの中に、デリバリーヘルスと熟女がそっと視線を外し、バルドの目はドS天使の小さな手で塞がれた。 何としても見ようと目を見開くエロエロ達の目は、三人纏めてソープの鞭が巻き付き目隠しされて、同時に出張サービスは眼孔という急所に蹴りを入れられ、のた打ちまわっている。ソープの脚力で蹴られては眼球が破裂してもおかしくないだろうに、筋肉達磨は何とか持ちこたえたようだった。 エロ同人の操る風に乗って、ふわりと降り立ったエレンはスカートを軽くはたいて整えると、エロ同人に頭を下げた。「ありがとうございます、エロ同人様!」「それはイイんだけどね。エレンまで来ちゃったら連絡出来なくなるじゃないの……」「あ……」 冒険者ギルドに匿っているモーリスとギーア。それに山に隠れているハウノと連絡が取れなくなってしまった。自分達が帰れなくなった時には、直ぐに逃げるよう伝えて欲しいとソープも確かにそう言っていたのに、あまりの言い様に腹を立てて衝動的に行動してしまったのだ。 エレンがしゅんと項垂れて、無言のままのソープをちらりと窺うと、ソープはこれ見よがしに盛大に溜息をついて見せた。「……まったく。来ちゃったもんは仕方ないけどね。いつも言ってるだろ、後先考えて行動しろと」「……ソープおばさんに言われたくない」「うっ」 ハウノが殺されたと聞いて、真っ先に突っ走ってしまったのはソープじゃないか。そうジト目で見てくるエレンにソープは跋が悪そうに顔を背けてゴホン、と咳ばらいをすると、デリヘルを親指で指し示した。「兎の嬢ちゃんが腹減ってるんだよ。ついでにアタシもデリヘルもバルドの旦那もね」「……ああ、それで」 店用に仕入れた食料はかなりの量だ。それを請求してくるとは一体どんな長期戦を見込んでいるのかと思えば何のことは無かったと、エレンは安堵の吐息を漏らした。「何か片手でぱぱっと食べれるもんないかい? 移動しながら腹に入れられるような」「冒険者ギルドに行く前に、生の肉と魚は店に置いてきたから……常温保存できる固パンと干し肉くらいしかないわ。あとは小麦粉と根菜。調理しないと食べれないものばかりよ」「んじゃ、固パンだけでも出しとくれ」 エレンは頷くと、ソープの身体に隠れるようにしてスカートをまくり上げる。女性が大容量の収納鞄を持ち歩く際は、服の中に隠す事が多いのだ。 エレンが太もものガーターベルトに括り付けた収納鞄から、両手で抱える程の大きなパン籠をひとつ取り出し、さっとスカートを整えると、ソープが場を切り替えるように両手を二度叩き、バルド達に振り返った。「さあさあ! 時間も無いし、歩きながら食べとくれ。んで、とっとと行きましょうかね!」 ソープの号令で、皆がパン籠に手を伸ばした。日持ちがするように極力水分を少なくして作られた固パンは噛み千切るのにも苦労するが、携帯食として冒険者にも騎士にも馴染み深いものだ。出張サービスが自分にもよこせと喚いていたが、そんなのは勿論無視された。 捕えられていた出張サービスの部下達は未だに気を失っていて、移動させるのは困難だった。熟女は彼等を一纏めに縛り上げ、エロエロが作った簡易の檻に入れた。一通りの手続きを終えた後に連行する予定だ。一応は兵士の端くれ、三日くらいは飲まず食わずでも生きていられるだろう。熟女は檻に向けて結界石を発動させると、デリバリーヘルスに告げる。「自分は逆方向の道を確認しながら砦に戻ります。――デリバリーヘルス先輩、くれぐれも頼みます」「ああ、任せてくれ!」 やたらきらきらとした表情で胸を張るデリバリーヘルスを何か物言いたげに見詰めてから、熟女はその身体をくるりとバルドに向けた。「く れ ぐ れ も、頼みます」「あ、ああ……」 強く念を押してくる熟女の気迫に、バルドは身じろぐ。そんなバルドに深く頭を下げてから、熟女は一人別方向へと駆けて行った。「また、あの人は勝手に……」 茶番のような遣り取りを聞きながら、熟女は今日だけで何度も自分を苛んでくる頭痛を少しでも和らげようと、額に手を当て蟀谷を揉んだ。 エロ同人が絡むと暴走してしまうデリバリーヘルスは何とかならないものだろうか。このまま無視して出張サービスを連行してしまいたいが、きっとまた面倒な抵抗に合うだろう。今度はデリバリーヘルスによって。 深く深く溜息を吐くガウエインに、バルドはある種の同情を覚える。周囲に振り回されて苦労する姿は、己の姿と重なって見えた。「お互い、苦労するな……」「冒険者ギルドの……」 労わる様に掛けられた言葉に、熟女はのろのろと顔を上げる。それから出張サービスを縛る蔓縄の先をソープに手渡すと、出張サービスに聞こえないようバルドを促し、距離を取った。バルドの腕にはマリ―ルが居るが、致し方ない。 距離を十分取った後、熟女は苦々しい表情で重い口を開いた。これから頼む内容は、騎士として決して褒められるものではないと自覚して。「……すまない。冒険者ギルドへの協力要請として扱ってくれて構わない」 騎士は置屋、もしくは国に所属する者達だ。その騎士から冒険者ギルドへの要請は、余程の戦力不足や緊急性があるものでもなければ滅多に無い。冒険者ギルドへの借りを作る事。それは騎士の力量不足でもあり、恥であるからだ。 だが、今回の要請はそれだけではなく、熟女の騎士としての信念を曲げる事でもあった。一般人を囮に使い、証拠集めまでやらせようとしているのだ。警備兵の中に信用できる人手があれば、こんな事は決して頼まなかった。 バルドは熟女の言わんとする事を直ぐに理解出来たが、ひとつ、確認しておきたい事があった。「伝手はあるのか?」 恐らく熟女は、メルク置屋ごと出張サービスを貴族裁判で裁くつもりだ。だが騎士クラスとは云え一介の警備兵が、そう易々とそこまで出来るものではない。 貴族裁判を開くには貴族院の許可が必要で、大抵そこに書類が届く前に握り潰されてしまう。ましてメルクの置屋は人命に手を出し儲けている。その辺りの手回しは済んでいる事だろう。 バルドの問いに、熟女は考え込むように視線を落とした。だが直ぐに視線を戻すと、告げて良いものか躊躇っていた口を開く。「――警備兵として配置されているが、我々の主はメルク置屋ではない」 置屋の騎士ではないという事は、熟女達の主は各地に騎士を派遣し受け入れさせる事が可能な者だ。それはすなわち。「国が……関わっていないと信じて良いのか?」「少なくとも、我々は仕えている主を信じている」「そうか……」 それを聞いて、バルドはデリバリーヘルスを見る。何故か自分にだけ絡んでくるデリバリーヘルスだが、街の者には好かれている真面目な青年だ。ふと視線を感じて自分の胸元へ目線を落とせば、ドS天使が不安そうな顔でバルドを見つめていた。 バルドが安心させるようにドS天使の頭を撫でてやれば、ほっと力を抜いて、その手に自ら頭を摺り寄せてきた。「大丈夫だ」との意思表示だろう。「……その要請、うち以外の冒険者ギルドに情報を漏らさず出来るか?」 熟女が訝し気に眉間に皺を寄せるが、バルドは構わず言葉を続けた。「メルクを拠点にしていた冒険者が、隣街からの指名依頼を受けて殺されている。隣町の冒険者ギルドは出張サービスと繋がり、護衛として雇わせた冒険者に商人を襲わせていた」「っ! まさか、その証拠があるのか!?」 熟女達とて、メルク周辺で商人が盗賊に襲わる事件が頻発しているのは承知している。自分達が港側の警備に出ている時に限ってそれが起きるのだから、不正をしている者が警備兵の中に居るだろう事も、それが出張サービスであろう事も容易に見当が付いていた。 だが、なかなかしっぽを掴めないでいたのだ。被害者は全て亡くなっていて、証拠の品になりそうな何もかも、スライムによって消化されてしまっているのだから。もし証拠があるのなら、是非にも欲しい。 急いた熟女がバルドに詰め寄る。だが、出てきた答えは理解しがたい言葉だった。「出張サービスとその部下に殺された、冒険者と商人に聞いた」「……なん、だと?」 熟女は寸の間、彼らしからぬ間抜けた顔をした後、みるみる内に怒りで蟀谷に青筋を立てた。殺された者にどうやって聞いたというのだ。こんな時に言う冗談にしては質が悪すぎる。 責めるように睨む熟女に、バルドは表情を崩さぬまま真顔で告げた。「この子の薬の効果を見ただろう。あの薬の他に、欠損を修復してしまう薬と、一度死んでも条件と運が良ければ蘇生出来る薬がある」「なっ……」 驚愕に目を見開いた熟女が、ドS天使を見る。確かに先程出張サービスを治した薬の効果は驚くものだった。だがそれ以上の薬を、この小さな子供が持っているという。青い薬の効果を目の当たりにしても、到底信じられない話だ。 まだ疑う熟女に、それも仕方ないだろうとバルドは溜息をついた。実際見ないと受け止める事は出来ないだろう。「この子はエリスティア共和国の保護する『異界の迷い子』だ。ドS天使、タグを見せてやってくれ」 ドS天使はこくりとひとつ頷くと、襟元からするすると紐を手繰り寄せタグの裏面を見せた。見せられた熟女はというと、例の如くドS天使のタグを見て固まってしまった。 色々と問い質したい項目もあるが、というか何だこの石の色はとも思ったが、バルドの言う通り『異界の迷い子』である事は、そこにはっきりと記されていた。「……」「画期的な薬を開発し、広める為に旅をしているそうだ。だが、何故かゴルデア国だけで薬術士組合から薬の販売許可が下りないらしい」「……そんな薬の噂は、全く届いていない」「どういう仕組みかは解らんが、情報が制限されていると見ている」「……それで、他国との連絡云々か。ならば猶更、この子供を連れて行くのは危険ではないか?」 熟女はバルドの腕の中にいるドS天使をまじまじと見詰める。他国では頻繁に現れるらしいが、この国に産まれ、この国から出たことが無い熟女は『異界の迷い子』を見るのは初めてだ。 それにエルフのエロ同人でも珍しいのに、存在すると聞いたこともないハーフエルフとは。優位性は勿論、見目も希少性も揃っているとなれば、狙われるのも当然だった。「でも、私が行かないと置屋館に直ぐには入れないんですよね?」「それは……だがやはり、許可を取ってからの方が正しいと私は思う。モルガという女性だけでなく、君達までみすみす危険に晒す事は出来ない。――囮になど、したくない」 デリヘルの言う通り、魔導具の鏡が壊された時点で、もう既に証拠隠滅に動いているだろう。故に出張サービスをこのまま捕え尋問しても、置屋達が無関係である証拠を用意する時間を与えるだけだという事も、熟女は分かっている。下手すると出張サービスさえも無罪放免となる可能性もだ。 だが、置屋達を追い込む為にこれからやろうとしている事は、ドS天使の屁理屈に乗って、ドS天使とエロ同人を囮に現場を押さえようというものだ。これ以上犠牲を増やさない為に、ドS天使達を犠牲にしようとしている。 ぎりりと音がするほど自らの拳を握り締め、苦し気に漏らす熟女の言葉に、ドS天使はきょとんと目を丸くして、それから嬉しそうに笑った。「うっわ~! すっごく優しい騎士様じゃないですか!! ――良かったですね? デリヘルさん!」「……別に」 いつの間に近くへと来ていたのか。突然話を振られたデリヘルが、つい、とそっぽを向いた。その横顔が少し嬉しそうに見えるのは、ドS天使の気のせいではないだろう。「俺もびっくり~」「この国の騎士、皆出張サービスみたいなのかと思ってた!」「な~?」「あら、この子達は良い子よ? ……ちょっと変な方向に行っちゃった子もいるけど」「エロ同人様……! 良い子だなど、そんな……!!」 突然出てきた気配と声に、熟女はぎょっと身を縮ませた。聞こえないようにと距離を取っていたのに、いつの間にかエロエロ達やエロ同人とデリバリーヘルスまで背後に立っている。 慌てて出張サービスを探し視線を向ければ、先程と同じ場所でソープに縄を解けと捲し立てていた。一番聞かせたくない出張サービスには聞こえていないようだ。ほっと胸を撫でおろした熟女に、トートがにやりと笑った。「でもわかんないぞ~。デリバリーヘルスって騎士さんみたいに変態かも」「だな! ここに二人も変態騎士いるもんなー!」「なーなー、アンタ何の変態なんだ?」「一緒にしないでくれ……!」 茶化すエロエロ達に言い返して、思い詰めていた熟女の強張りが少し緩む。ドS天使とバルドは顔を見合わせて、それから ふ と顔を崩して笑った。 エロエロ達によって、騎士=変態と広まるのも、あっという間かもしれない。 陶器のように滑らかな白い頬にそっと形の良い手を当てて、エロ同人は悩まし気に、その形の良い唇を開いた。「トートの恋の行方も気になるところだけれど」「いや、ちげーから!!」「あらぁ。恥ずかしがらなくてもいいのよ? トート」「だからぁ……!」 尚も違うと口を開きかけたトートの肩を、両側から誰かが叩く。振り返れば、そこにはラルムとサルムが、にやにやと口元と目元を歪ませ立っていた。これはもう、完全に面白がっている。こうなったらどんなに否定しても無駄だと、トートは崩れ落ちるようにして地面に両手をついて叫んだ。「くっそーう! いつもならイジられるのはギルマスの仕事なのにぃ――!!」「おい、待て」 そんな仕事は請け負った覚えが無い。無いのだが、何故かいつもイジリ倒される。いちいち反応してしまうバルドも悪いのだが、その事を指摘してくれる者は誰一人居なかった。「はいはい、わかったから。マリーちゃんとデリヘルは帰りましょ。もう夜中近いわ」 往生際悪く喚いているトートに向けて、掌をひらひらと舞わせてから、エロ同人は腰を屈めてドS天使とデリヘルに視線を合わせた。ドS天使はまだ平気そうにしているが、デリヘルは何度も眠気の波を堪えていた筈だ。孤児院では夜の九時にはベッドに入り、朝の五時には起きて水汲みをする生活なのだから。「でも、モルガお姉ちゃんが……」 エロ同人に穏やかな口調でそう言われると、驚きの連続で引いていた眠気が一気に押し寄せてくる。正直このままここで床に寝転びたい位の眠気を我慢して、デリヘルは尚もモルガの事を気に掛けていた。 そんなデリヘルを安心させるように、エロ同人がカラリと笑う。「うちのギルマスに任せておけば大丈夫よぉ。ちょっとどんくさいけど」「確かにどんくさいねぇ……」 エロ同人の言葉に、ソープも神妙な顔で頷いた。でかい図体で恐ろしい程の膂力を持って敵を圧倒し、得意の火系魔法で全てを焼き払う。なのにやたら周りに気を遣っては何でもかんでも抱え込み、自ら身動きを取れなくしてしまう。 見た目で誤解されがちだが、優し過ぎるが故に傷つきやすくて、不器用でどんくさい。ソープの知るバルドは、そういう男だ。 と、いうつもりで頷いたのだが。バルドは唖然呆然といった顔で「どんくさい……」と繰り返し呟いている。またいらぬ心の傷を負わせてしまったようだ。「それにギルマス、今んトコぜんっぜん活躍してないもんな~」「そーだそーだ! 任せたギルマス!」「お前らなぁ……」 ラルムが頭の後ろで手を組んで唇をひん曲げる。サルムも唇を尖らせて文句を垂れた。どうやら相当疲労が溜まっているようだ。 バルドとしてはドS天使の保護が第一目的だったのだから、自分が役に立とうと立たなかろうと、問題は無い。だが、確かに全く活躍出来ていない気がする。エロエロ二人の散々な言い様に甘んじて、バルドは情けなく眉尻を下げるしかない。 ドS天使とデリヘルはエロ同人に連れ帰って貰わなくてはならないし、ソープは上にエレンを待たせっ放しだ。鏡の魔道具を処理して貰う為に着いて来てもらったデリヘルも、もう解放してやらねばならないだろう。「……仕方ない。トート、二人で行くか」「うん。わかった」「待て」 トートが頷くと同時に、声が掛かる。振り向けば、もうとっくに出張サービス達を引っ立てて行ったと思っていた熟女達が、しっかりと話を聞いていた。どうやら、気を失ったままの出張サービスの部下達をどう運ぶかで手間取っていたようだ。  出張サービスを縛った蔓縄の先を持ったまま、熟女は淡々とバルドに告げた。「平民が貴族の屋敷に招待も無く入れば、不法侵入で檻の中に直行だ。馬鹿な事はするべきじゃない」 子供に泣かれて檻の中に入れられる常連が、今度は貴族への反撥行為で二度と檻から出られなくなる。こればかりは、どんなに相手方が悪いと判っていても庇い立てする事が出来ない。「けどさ~。今行かないと、おっぱいねえちゃん助けられなくなるんだろー?」「そうね。鏡の魔道具壊したし、遅かれ早かれ彼方側も気づくと思うわ」「だったら早く行った方が良くね? トートいじってたから結構時間経ってるし」 さしてモルガに興味もないラルムが頭の後ろで手を組替えみながら言えば、デリヘルが頷いた。 出張サービスが鏡の事を知らずに此方へ向かったのなら、彼方側が気づいたのは少なくとも出張サービスが此方へ向かった後だろう。地下道を通る事で置屋館までの距離がどれほど短縮されるのかは不明だが、今から向かって間に合うかどうかもわからない。 デリヘルの言葉にデリヘルは赤く大きな目を涙で潤ませて、デリバリーヘルスと熟女に祈るように両手を組んで懇願した。「お願い、騎士様! モルガお姉ちゃんを助けて……!!」「……っしかし、」 デリバリーヘルスは幼いデリヘルの涙にぐっと喉を詰まらせる。熟女も眉間に皺を寄せて目を細めたが、一瞬の躊躇いの後に、無情にもデリヘルの願いを拒絶する言葉を口にした。「……手順を踏むのが規則だ」「そんな……」 やはりデリヘルのような孤児の言葉は、誰にも聞いてもらえないのだ。あんなに優しくしてくれたモルガと、もう二度と会えなくなるかもしれない。 冷たい騎士達の言葉に、デリヘルは絶望してよろりと後退る。今にも倒れ込みそうなデリヘルの肩を、デリヘルがそっと後ろから支えてくれた。「平民の命を守る気は無いって事ね。ちょっと見直してたのに、やっぱりお貴族様ね」「……法は、守らなければならん」「その法が、平民を守る法じゃないって言ってるの」 尚も「法が」と口にする熟女の言葉に、デリヘルは蔑視の眼差しを彼等に向けた。その視線を正面から受け止めて、熟女はデリヘルに対峙する。ちらりと周りを見渡せば、いつの間にかソープやエロエロ達の視線も厳しいものへと変わっていた。 貴族側の騎士達と平民のデリヘル達。二つの階級の間で常に燻っている蟠りが増していくのを皆が感じ取った時。張り詰めた空気を、惚けた声がホロリと解す。「招待なら、されてますよ?」『……は?』 ドS天使以外の間の抜けた声が、この場に居る人数分揃う。一体この子供は何を言い出すのか。ささくれた皆の意識を自分に向ける事に成功して、ドS天使はにんまりと笑った。「その置屋さんのお家に、今から――えーと、出張サービスさん? に、連れて行ってもらうところでした。いやぁ~。落とし穴から招待するなんて、ゴルデア国の貴族って斬新ですね~?」 嫌味をたっぷり含めて、ドS天使は出張サービスに向けて小首を傾げる。だが言われた当の出張サービスは、意味が分からないのか呆けた顔でドS天使を見ていた。出張サービスと共に呆けた顔をしていたデリバリーヘルスも直ぐに正気を取り戻すと、信じられないと声を荒げる。「な!? 何を馬鹿な事を……! 現に落とし穴に落とされ攫われかけていたのだぞ!?」「攫われてませんもーん。被害届出してませんもーん」「んな!?」 唇を尖らせ、つん、とそっぽを向くドS天使に、デリバリーヘルスは開いた口が塞がらない。この子供は運良く助かったというのに、再び危険に飛び込もうと言うのだ。それもまた、無理矢理な屁理屈を捏ねて。「……まあ、確かに届は出してない、な」 バルドは顎を摩りながら、届け出をしていなかった事を思い出す。ハウノの件で全ての警備兵や騎士が信用できるか確信を持てなかったというのもあるが、ドS天使が攫われてしまったと思い当って直ぐ、届け出る前に身体が動いてしまったのだ。「あれ? そうなの?」 トートとラルムがバルド達と合流した時には既に騎士が二人も居たものだから、既に捜索願いを出したものと思っていたのだ。 そのトートの拍子抜けした声に、ソープが頷く。モルガの店の前でエロ同人達が攫われたかもしれないとは伝えたが、事実攫われかけていたのだが、捜索願いは正式には出していない。「てっきり攫われたと思ったんだけどねぇ。いやぁ。騒がせてすまないねぇ、騎士様」 ドS天使の屁理屈に乗ることにしたソープは、さも申し訳なさそうに、間違いであったと訂正した。「あらぁ。じゃあ私も招待されてるから、行かなきゃじゃないの。――っんもう。仕方ないわねぇ」「エロ同人様まで……!!」 軽く溜息をついてから自分も行くと言い出すエロ同人に、デリバリーヘルスは目を見開いた。先程までは行く気も無さそうだったのに、ドS天使の一声で流れが変わってしまった。 何とか止めなければと焦るデリバリーヘルスの耳に、出張サービスの不快な笑い声が聞こえる。「――くっくくくっ。なるほど。なるほどなぁ!」 ドS天使の意図している事が漸く理解出来たのか、先程まで呆けていた出張サービスが愉快そうに嗤う。 この子供はどうやらモルガを助ける為に、自ら置屋館へと出向く気らしい。この場を切り抜け置屋から指示された子供とエルフを連れて行けば、デリバリーヘルス達の事はどうとでもなる。置屋館には置屋の個人騎士団が揃っているし、何よりこの二人の買い手は上貴族なのだから。 それに強盗や人攫いも置屋の命令だと、貴族裁判で出張サービスに告発されたくはないだろう。きっと自分だけは何がなんでも助けてもらえるものと、出張サービスは信じ切っていた。「そう言う訳だ。枷を解いてもらおうか?」「……」 己に利があると思ったのか、途端に出張サービスは尊大な態度で顎をしゃくり、自分を拘束する縄を持つ熟女に命じた。 調子に乗ったデリバリーヘルスと女共もだが、特に大事な髪を毟られたのは許し難い。どう仕返ししてくれようかと、既に頭の中は熟女を甚振る事で一杯だ。 清廉潔白な騎士であると言わんばかりに何時も澄ましている顔が、己が与える痛みや絶望によって歪む様を想像するだけで、出張サービスは得も言えぬ興奮を覚えた。 だが、直ぐにその目論見は霧散する。「……では、私も同行しましょう」 虚を衝かれた出張サービスは、目を見開いてデリバリーヘルスを見る。するとそこにはエロ同人に鼻の下を伸ばし、ドS天使の屁理屈に振り回されていた男とは思えない程、意思の強い瞳でまっすぐに出張サービスを見据える男がいた。「いくら出張サービス様の迎えがあるとは言え、誘拐されたと周囲が誤解を招く招待の仕方をする場所へ、幼い子供とか弱き女性だけで訪れるのは心許ない」「デリバリーヘルス……」「私も一応は貴族の出ですから、事情を話せば招待されていなくとも無碍に追い返されることはされないでしょう」 眉根を寄せるエロ同人に、デリバリーヘルスは安心させるように微笑んで見せる。エロ同人の内心は置いておいて、傍から見れば見つめ合う二人の姿は、まるで物語に出てくる妖精の女王を守る騎士の様だ。デリヘルとドS天使は、ほぅ と、うっとりと溜息を零した。 一方、バルドとエロエロ達は眉間に皺を寄せて首を捻る。「か弱き……?」「女性……?」「え、誰の事?」「いるか……?」「失礼だね。アタシらは女性に入ってないってのかい!」 そうは言っても、ドS天使でもないし、デリヘルでもないだろう。デリヘルの見た目は奇抜だし、ソープは肝っ玉も腕っぷしも太い。エロ同人はあんな見た目だが男だ。デリバリーヘルスの言うか弱き女性とやらは、バルド達にはとんと思い当らなかった。「あの騎士様までくっついて来たら自由に動けないじゃないの。殺る?」「……今はやめときな、デリヘル」 暗器を取り出そうと髪に手を入れるデリヘルの腕を、ソープが掴んで首を振る。確かにデリバリーヘルスまで付いて来たら邪魔に違いないが、エロ同人の為に命を張ってくれる信用だけはある。いざと言う時は囮も喜んでしてくれそうだ。「会員ナンバー.136の命、無駄にはしないよ……」 ソープの中ではデリバリーヘルスは既に殉ずるものと決まっているようだ。これから星になるであろうデリバリーヘルスに、ソープは慈愛を籠めた眼差しを向けた。

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